Família ~うたかた@ちゃり
庭先で子供たちが遊んで、賑やかな笑い声をたてている。
庭と言っても草や樹がてんでに繁って、外の森と大して変わらない。
人間の子とカラスの子、ホオジロの子や、空を飛ぶ鳥の子たちも、一緒くたにじゃれあっている。
遠い昔から人とともに暮らしていたカラスたち。
いつからか姿を変え、人によく似た生き物になった。
今も艶めく黒い羽毛を備えてはいるが、飛ぶことはやめ、地面を歩いて暮らしている。
それは、人間の数が明らかに彼らよりも少なくなった頃から。
体が変化したことについて、カラスたちにはひとつの言い伝えがある。
ある人間の女性が神のような力で彼らを人の形にし、人間に替わって世界を統治するように告げたのだと。
ここはたいそうな山の奥で、他所の生き物はまず入ってこない。
かつては強化ガラスで覆われ閉鎖された街だったが、今はもうガラスの落ちた骨組みが蔓草をまといつかせ、粗い生け垣のように取り囲むばかり。
この生け垣の内側に、人の姿が二つある。テルミとハルト、母と子のように見えなくもない。
「お母さん! また遠くを見ている。ぼくはここだよ!」
若い女の姿をしたものが、空に向けていた顔を、声のほうへゆっくりと振り向ける。
庭の片隅の小さな畑。ハルトはナスやマメを世話する手を止め、ちょっと拗ねたように女のほうを見ている。
畑の作業を行うのはハルトひとり。テルミは何もせず、ただ傍らに立っているだけ。
テルミは静かな声で、少年に答える。
「私はハルトのお母さんではありません。機械ですから生き物ではありません」
「また! どうしてそんなことを言うの?」
「ハルトの本当のお母さんは、ハルトを生んですぐ病気で亡くなりました」
「何度も聞いたよ! もう言わないで」
テルミの言葉を遮り、それから顔を背け、ハルトは畑仕事に戻った。
畑仕事のあと、二人で森の中を歩く。
枇杷の木の、まだ手が届かない高さに生っている実を取ってくれと、ハルトはテルミにねだる。
テルミは綺麗な手をそっと伸ばして、果実をもぎる。
テルミが話す。
「私がいなくなった後は、カラスに頼んでください。それからハルトの背丈がもっと伸びたら、自分で取ってください」
「お母さんはいなくならないでしょう」
ハルトは果実を布で拭き、肩掛け袋に入れる。
「ハルト。私はテルミ。鳥話を人語に翻訳するためのシステムです。このボディは動画取得のための自走式撮像機、兼、音声出力端末です。ハルトはそれを認めなければなりません」
「話が長くて何言ってるか分かんなーい」
テルミは人の形をした機械。まだこの街に人間がいくらか残っていた頃に、ハルトのために造られた機械だった。
人間たちは治らない病気を抱え、幼いハルトを一人残していかねばならないことを悟っていた。
テルミはハルトを守り、また鳥たちとの通訳をして、ハルトが生きる手助けをする。
けれどもハルトが無事に育ったこのごろは、もうハルトのためにテルミにできることはなくなってきていた。
ハルトには鳥の友達がたくさんいて、皆がハルトを助けてくれる。
「先週、地下の部屋で、携帯型の翻訳機をハルトと一緒に作りました。あの翻訳機を持ち歩いてください。そうすれば私は必要なくなります」
ハルトは逃げるように駆け出し、家のほうへ木立をくぐって見えなくなった。
「一緒に作ったから、ハルトが修理も改良もできるはずです。もう私は必要ないのです」
テルミは独り言のように言葉を続けていた。
数日のち、テルミとハルトは、仲の良いカラスの家で畑仕事を手伝っていた。
鳥たちよりも手先が器用なハルトは、マメの柵の緩んだ部分を結び直したりしている。通訳として付き添うテルミだが、今は家の中、カラスの奥さんと鳥話で話をしていた。
「ハルトを置いていくのね」
カラスの奥さんは気遣わしげに畑へ視線を投げる。
ハルトのいる場所までは声は届かないし、ハルトは鳥話を解しないが、自然と声の調子が落ちる。
「宜しくお願いします」
「どこへ行くの?」
「東南の方角です。そちらから来た鳥が教えてくれました。人間が残っている街があるそうです」
「ハルトを連れて行ってあげないの?」
「子供には遠すぎます。大人になってからなら、旅をするのもいいかもしれません。今はまだ無理です」
「でもね、ハルトは一緒に行きたがるでしょう」
「私がいないことにハルトは慣れます。鳥たちと一緒にいたほうが、ハルトは楽しいからです。私はもうハルトを悲しませることしかできません。私にはオプションがないのです」
「よく分からないけど…」
カラスの奥さんは困ったように微笑んだ。
「こんな時、あなたに何をしてあげたらいいのかな。あなたはお茶も飲まないし、椅子にかける必要もない」
そしてカラスの奥さんはテルミの肩を労わるように撫でた。
テルミの硬い声。
「すみません。意味が分かりません」
「いいのよ」
カラスの言葉をテルミが通訳する。
「どうもありがとうハルト。助かったわ」
仕事を終えたハルトは、テーブルでお茶を頂きながら嬉しそうに笑った。
「それでね、また今度でいいから、野菜籠の修理もお願いしていいかしら。子供が踏んで壊しちゃったの」
ハルトは得意そうに請け負う。
「任して!」
と、鳥の子供たちが部屋に駆け込んできた。テルミがそれらの言葉も通訳する。
「ハルト! ハルト! 来てたんだね。遊ぼうよ! 木登りしよう!
カラスの奥さんがハルトを促して言う。
「いいわよ、遊んでいらっしゃい。そして日が暮れるまえに帰っておいで。夕ご飯をみんなで一緒に食べましょう」
ハルトは飲みさしのお茶をテーブルに置いて、鳥の子たちと笑いあい駆け出していった。
子供たちの遊びに通訳は必要なかった。
見送りながら、カラスの奥さんが微笑む。
「いい子ね。みんなあの子が大好きよ。だから大丈夫」
遠い道のりを歩くテルミの頭上には鳥たちがいつも空のどこかにいて、遠く離れた子供の様子を教えてくれる。
ハルトは元気です。しっかり暮らしています。
テルミは一度だけ言伝を返した。
あなたの前途に、幸せと喜びがたくさんたくさんありますように。
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コメント
お疲れ様。UPありがとう! コメント遅くなってごめん。
テルミ切ない。でも切ないの意味を感じ取れはしないのね。カラス奥さんの方がそれを感じて切ないかも。ハルトは大きくなったらテルミを探して旅をするのかなぁ。
今回のうたかたは地面に足がついてる感じ? テルミの存在が「ふわふわ」ではないからかな…なんて思ったりしたよ。それとも「うたかた」より随分前の話だから?
年表もありがとう~! ふむふむ。こんな頃なのね…と思いながら読めて、より世界観がしっかりして広がるわ(^^)
投稿: mai | 2011年9月 4日 (日) 23時43分
maiさん
いつもありがとうございますー!
そうですねえ、地上編だけど7人よりもだいぶん昔の話なのと、仰るとおり「テルミ」が堅いからかもと思います。テルミはボディも魂も堅い。テルミの話ももっと書きたいんですが、シリーズ本編には殆ど関係なさそうなので、外伝とか(生意気)笑
ハルトはやっぱり旅に出ると思います。鳥話のいいところは、遠くの話が分かるところかな?
次回はまたふわふわの予定、多分…?
投稿: chali | 2011年9月 5日 (月) 23時32分