Banquete ~うたかた@ちゃり
いま、世界を率いているのは鳥たちだった。
鳥たち、特にカラス。
新しいカラスの姿かたちは、地に落とす影を見ると人間によく似ていたが、顔も肌も手足の先もまったく違う。
カラスの肌は細かい羽毛に覆われており、空を飛べはしないが腕には羽根も残っている。手足の先は細い鉤爪になっていて、手指にはうろこのような紋がある。
また、カラスのほかにも。半鳥半人のようなものがおり、一方、鳥のまま全く変わっていないものもいる。
それら鳥たちは互いに鳴き交わしたり、中空に印す鳥話で情報を伝えることができるが、鳥と人とはいっさい言葉が通じない。
鳥の言葉には人の耳で捉えられない音も含まれ、鳥話ともなればさらに複雑すぎる。逆に人の言葉は鳥には単純すぎて、眼差しほどには心を伝えない。
鳥たちは世界中にいて広い範囲を移動し、そうでなくても互いに言葉をやりとりし、かつての人間たちのように世界をあまねく覆う情報網を持っていた。
対して人間たちはどうしているかと言えば、これも世界のあちこちに生き延びてはいたが、それぞれ孤立した狭い街の中に閉じこもって暮らしている。
昔のある時期、人の存在を脅かした病に怯えて彼らは街を堅い殻で覆った。それから長い時間が過ぎて、病原はやがて人と共存する術を獲得し、もはやその病で命を落す人はいない。
しかし人の意識だけが殻の中で閉じたまま変わらず、時間だけが長く経っていた。
人間たちはとうの昔にそのことに気づいており、そして古びた殻もあちこちで破れているというのに、その境目から外に出ようとしなかった。
鳥たちはそんな人間たちを静かに見守っている。
さて、とある砂浜と崖の間を広く隔てている森にも、人のような姿をした新しいカラスたちが住んでいた。
崖の斜面の中ほどには、古い人間たちの住む都市が一部はみ出て埋まっていて、カラスたちはこれを「岩棚の町」と呼んでいる。
岩棚の町は崖から鼠返しのように突き出ていて、下から登って行くことはできない。崖の上には台地が広がり、町とをつなぐ細い索道が架けられている。そこから人は細々と出入りして、台地にささやかな畑を拓いて食料などを得ているが、それ以上に広がろうとはしていない。
カラスと人は互いがすぐ傍にいることを知っていながら、とりたてて交流することはなかった。敵でもなく仲間でもなく、別の生き物がそこに暮らしている、というほどに感じていた。
春のあるとき。
空がよく晴れて、優しい風が小さな花やほぐれた土の匂いを運ぶ日、森の中に人間の子供が一人眠っていた。
カラスの子供がひとり、普段の日課どおりに森を点検して回っていて、それを見つけた。
木漏れ日が眠る女の子の滑らかな頬を柔らかく照らしている。肌には羽毛もうろこもなく、産毛が陽光をまとって光っている。手足は平たく、やわらかそう。
カラスの男の子はそっと近づいて、珍しそうに見下ろす。手を伸ばして、爪の先でそっと、女の子の肩をつついてみた。
とがった爪が触れると少し眉根を寄せ、人間の女の子は目を覚ました。何度か瞬きをしたあとゆっくりと上体を起こして伸びをし、それからカラスの子に気づいて見上げる。
女の子の、栃の実の茶色のように澄んだ瞳、温かな濃い色の髪がきらきらと日の光を跳ね返している。
カラスの子の黒い姿をじっと見つめ、その手を取り、細い指から爪の先までを撫でて、不思議そうに眺めた。
七歳かそこら、あつらえたように同じ年頃の二人。
視線が合ってにこっと笑いあい、互いに優しい言葉を発したが、意味は分からない。
女の子は木の枝を拾い、地面に二人が手を繋いでいる絵を描いた。それから嬉しそうに笑って、女の子の絵と自分を交互に指差し、「スミ」と言った。男の子は理解して同じように名乗ったが、人の耳には音が難しかったので、女の子は聞こえるところだけを繋げて彼を「テトラ」と呼んだ。
テトラはスミの手をそっと引いて、ゆっくりと歩き出す。
二人が家に着くと、テトラの家族もひとしきり驚いたり珍しがったりし、その後は心を尽くしてスミをもてなした。お客用のいい椅子を勧め、温かいお茶を淹れる。スミも鳥たちの暮らしぶりを珍しそうに眺めている。
彼女がどこから来たかは間違えようもなかったが、とくに帰りたがる様子もなく、すっかり寛いでいる。スミにとってはたんに長い散歩の途中であるようだった。
座っていることに飽きると、スミとテトラは手を取り合って、表に遊びに出かけた。
テトラは鉤爪のある手で木の枝を掴み、ある程度登ったら下にいるスミに手を差し伸べる。もし、テトラがスミの手を強く握ると爪で傷つけてしまうので、スミにテトラの手首をしっかりと握ってもらい、引っ張り上げる。
そうやって高い樹の上へ上へどんどん登って、見晴らしのいい位置まで。
スミは歓声を上げた。
高いが柔らかい、心地のいい声。テトラはその声をとても好きになった。
二人、しっかりした枝に並んで座り、遠くを眺める。
森の向こうに、帯のように細長く続く浜と、そこから果てなく広がる海。眩しく輝く水面、その上に寝そべるような雲。
背のほうを振り返ると崖、そしておそらくスミの家のある岩棚の町が見える。
テトラは町を指差して、そこにおうちがあるんでしょう、と尋ねてみた。
スミの眼差しはテトラの指の先を滑って、町の上、台地の遥か向こうの山並みに注がれた。頬は喜びに輝くような笑みを湛えている。
木の上で気持ちの良い風に吹かれながら、テトラはスミに『帰らないで、ぼくのおよめさんになってほしい』と言ってみた。スミはテトラを見て、にっこりと笑った。
家に帰り、テトラが家族にそのことを話すと、親たちはやさしく二人の頭を撫でながら、残念そうに言った。
私たちはこうやって、鳥も人も同じように仲良く暮らせることが分かったけど、結婚はできないんだ。
それは神さまが決めたので、どうにも変えることはできないんだよ。
だから、スミは人間の町に帰らなければいけない。スミの家族がきっと待っているだろう。今晩はここでゆっくり休んでもらって、明日になったら一緒に送って帰そう。
けれども、テトラはスミを帰したくなかった。
だから翌朝は誰よりも早く起き、台所の棚から干した果物をたくさん取って布袋に詰め、それからスミを起こし、まだ眠そうなその手を引いて散歩にでかけた。
東にまだ淡い夜明けの光、早起きの鳥たちはもう鳴き交わしている。
カラスの子、何をしているの。どこへ行くの。
テトラはそれを聞かないふりをする。
そして良い枝振りの高い樹――二人の家を構えられるような良い樹を探して、昨日と同じように二人で登った。
ここに巣をかけて、一緒に暮らそうよ。そう言うと、スミは首をかしげて優しく微笑む。
けれどもスミの滑らかな手足は木の枝をうまく捉えきれず、水平線から眩しい朝日が差したときに目が眩み、小さな悲鳴とともに樹から落ちたのだった。
どうして。昨日は大丈夫だったのに。そう思えたのに。
信じられない思いでテトラが急ぎ樹を降りて駆け寄ると、スミの足は見るからに酷い有り様になっていた。慌てて抱き上げるとスミは悲鳴を上げ、ぐったりと目を閉じる。テトラは委細構わず鉤爪の手でスミを抱きしめたので、スミの手足や顔に細かい引っかき傷がたくさんできた。
必死で背負って帰るとスミは大人たちに取り囲まれ、テトラは身の置き所なく隅っこでただ震える。
大人たちが言う。人の怪我は、骨のつくりが違うので、鳥の医者には治せない。
汗を滲ませて苦しむスミを見て、テトラは怯えた。
カラスの大人たちが木の枠にスミを寝かせて担ぎ、スミを労わり励ましながら、岩棚へ向かう。テトラもついていく。
大人たちの誰にも、テトラを叱る暇がなかった。それでも、テトラの心は自分を責め立て、その重苦しさに足がもつれそうになる。
彼らは時間をかけて崖を回りこみ、台地へ上がった。
そこには二、三の人間たちがいて、鳥たちとスミを認めると恐る恐る駆け寄ってきた。
鳥と人の大人どうしが初めて間近に出会い、互いの姿をまじまじと見つめる。
話したくても言葉は通じない。諍いや詰問をしている時間はなく、人たちは慌しくスミを引き受け、索道を降りて姿を消していく。
テトラはそれを見送りながら、胸が張り裂けそうだった。
怪我をさせてしまってごめんね。じかに謝ることも、お別れを言うこともできなかった。
さよなら、スミちゃん。
そのまま日々が過ぎていった。
季節がいくつも移り変わり、それでも人間たちは街にこもったまま、時おり台地の畑に出てくるほかは姿を見せない。
スミが森へ来る前と、拍子抜けするほど何も変わらない。
言葉が通じないからか。自分たちとは違う生き物に、何を働きかけても無駄だと思っているのか。
せめてスミが元気でいるのかどうかさえ、知ることができないのだろうか。
鳥たちはさらに考える。
どうして人は今も町に引きこもったままなんだろう。
彼らが思っているよりきっと多くの人間が、世界のあちこちに生き延びている。それなのに、互いを探して出会おうともせずに。
もうあの病気で死ぬ人はいないのに。外の世界には気持ちのいい風が吹いているというのに。
テトラは考えた。
そうだ、人の住む街がほかにいくつもあることや、そこがどんな街なのかを知らせてあげればいいかもしれない。
例えば、ぼくたちの作るお酒や干した果物なんかを遠くの町に持っていって、そこの人たちから何かを換わりにもらう。それを持って帰って、岩棚の人たちに見せたら。
そしたらきっと、彼らにも世界中に人がいることがわかる。興味を持って、外へ出たくなるかもしれない。
きっとそうなる。ぼくはその手伝いをしよう。
いつかぼくたちが大人になったころ、ぼくたちと人間たちが一緒に、スミちゃんとぼくも一緒に、笑いあってすごせる時がくるといいな…。
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