鐘のキャロル @ちゃり
灰色の冬の廃墟を二人の人間が前後して歩いている。
二人は共に粗末な古着を纏っており、前を行く小柄な人物は服も靴も分けて一層ぼろぼろだった。
彼はシールド、封印された器。闇そのものの漆黒の瞳をしている。それを守り後から行くのはガーディアン。
いったいどんな不思議の運命に囚われたのか、いつからか明けない冬に閉ざされた街があった。街を冬から解き放つため、二人は幻想の廃墟の中を巡っている。
その役目は解放の種を街の中央まで運び、そこに植えること。
シールドは種を身のうちに納めて運び、ガーディアンはそれを守って目的地まで送り届けるのが役目。
言葉さえ封じられたシールドは殆ど喋らないが、時おりガーディアンに歌をねだる。
「銀の鐘の歌をうたって」
彼が欲しがる歌は一つだけ。二人は廃墟を歩きながら歌う。
Hark how the bells,
sweet silver bells, 銀の鐘の妙なる響きをお聞きよ
all seem to say, くよくよするのはおよし
throw cares away 鐘はそう言ってるようだろう
シールドは言葉が思うに任せず、ガーディアンの歌う声に沿ってラララ…と口ずさむ。ただリフレインの部分だけは詞を覚えていて、踊るような足取りで楽しそうに歌った。破れかけた服のくすんだ布地がひらひらと舞う。
Merry, merry, merry, merry Christmas
Ding dong ding dong ...
歌っている間だけは幸せそうに見える二人。
解放の種は廃墟の方々に散らばって実っている。二人はそれを求めて廃墟中をくまなく歩いて行かねばならない。種のある場所から場所へは桟橋のような通路がまるで導くように架かっており、道に迷うことはない。けれどもその桟橋を渡ることが二人にとってはこの上ない苦行だった。
何故なら橋は、無数に重なる人々の上に架けられているからだった。先へ進むには、種を得るにはその橋を踏んで渡っていく他に手立てがない。
もちろん横たわる人々の体は生きてはいない。それは人柱であるのか、そうであったとしても無意味なほど数が多すぎる。何故なのか、いくら考えても二人には理解ができない。
桟橋に乗れば古い骨の軋む音がする。歩を進める度その響きが靴の裏から這い登り、存在を主張する。
最初の橋を渡る時、シールドは足を踏み入れたその場で立ち竦んだ。
「怖い」
ガーディアンは役目として彼を先へ進ませなければならない。シールドへ示すように自分の耳を両手で塞いで見せた。
「こうして渡ればいいかもしれません」
シールドはそれに倣い耳を塞ぎまた一歩を踏み出すが、音を遮っても足から軋みが伝わる。
「怖い」辛さに表情が歪む。
「でも、みんな、待ってる」
そうしてシールドは自らを叱咤し、固く目を瞑って再び歩を進める。
目を瞑れば足取りは覚束なく、悪くすれば橋の縁を踏み外す危うさがある。橋へ差し掛かるたびガーディアンは片手で彼の背を支えた。これで自身の耳は片方しか塞ぐことができないが、ガーディアンの靴はシールドの履物より幾分しっかりと出来ていたから、歩く時の感触はましであるはずだった。
桟橋を渡り終えれば地面は確かに二人の足を支える。しかし凍った土はシールドのぼろぼろの靴の隙間から温もりを奪う。つらい、つらい道のり。
苦しさに耐えて耐えて、耐え難くなった時にようやくシールドはねだる。「銀の鐘の歌、うたって」と。
Merry, merry, merry, merry Christmas
Ding dong ding dong ...
種の生る樹はそれぞれの地に一本だけ。冬枯れのその樹の枝に種はたった一つしか実らない。灰色の景色の中、種だけが色づいて目に鮮やかだ。それは樹によってさまざまな色をしていた。赤、黄、黒、青…。
シールドはそれを摘んで口に運ぶ。それぞれの種があるいは苦く、辛く、あるいは喉を焼くほどの酸味があるらしく、目尻に涙を浮かべながらシールドは種を飲み込む。
幾つもの橋を渡り、種を身内に納め、ようやく最後の樹に辿り着いた。
最後の種は遠くからでも金色に輝くのが見えていた。摘み取ったそれはシールドの指にまるで燃えるように熱く、飲み込むと彼の胸を内側から焦がした。彼はその場にうずくまり、しばらく動くことができなかった。
「大丈夫ですか?」
気遣うガーディアンにシールドは弱く頷く。
「歌をうたいましょうか?」とガーディアンは問う。シールドは小さく首を振った。
「今、うたったら、種が、燃える」
そして顔を上げ、囁くような細い声で言った。
「急ごう。器が、焼け落ちる」
ガーディアンの差し伸べる手に縋ってシールドは立ち、よろめく足で次の桟橋へ向かう道を辿る。桟橋に差し掛かる頃には、折れそうな膝は支えられても伸びず、桟橋に一足置いた時の僅かな軋みでとうとう崩れた。
ガーディアンはしばし彼の傍らで励ますようにその背をさすっていたが、やおら彼の背と膝裏を支えて抱き上げた。そのまま桟橋を渡っていく。シールドに少しでも苦痛を与えないように、密やかな足取りで。
「下ろして。歩く」
苦痛を相手にだけ負わせることを拒んでそう言うシールドは、しかし自力で歩ける状態ではなかった。ガーディアンは答えず彼を抱えたまま最後の目的地まで歩む。
廃墟の中央、そこに丈の低い枯れ木がまるで何かの残骸のように捻くれている。
そこに来るとガーディアンに抱かれたままシールドは目を閉じ、胸の前で両手を祈るように結び合わせた。
シールドの胸の中央に小さな光が灯った。その光が少しずつ大きさを増していき、やがて胸から溢れ出て組んだ両手の中に移っていく。光がすっかり手の中に入ったとき、シールドがそっとその手を開いた。そこには一つの種があった。その色は――それは色ではなく、熱であり、明るく柔らかな光だった。
シールドはほっと大きな息を一つつく。ガーディアンは彼を地面の上にそっと降ろした。ガーディアンが種に触れることはできないのだ。役目以外の者が触れれば種は死んでしまう。
枯れ木の前に跪いたシールドはその手で冷たい土を掘り、木の根元に輝く種を埋めた。
やがて見守る二人の前で光が土の中から昇り、枯れ木の根本に色が差した。種の光が幹を上って行く。それにつれ、曲がった幹が、捻れた枝が伸びていく。木肌には艶が戻り、梢に葉の芽が膨らみ、ほぐれた。見る間に葉が茂り、樹そのものの丈も伸びていく。枝葉を張り、さらに広げ、空へ空へと。
灰色の雲が垂れ込める空にその梢が触れると、そこから雲が吹き払われて空は青く染まっていく。
光が全ての枝先まで行き渡り、それぞれの梢で星のように輝く。そこから光が雪のように降り注ぎ、光の雪に覆われた地面は温もり、小さな草の芽が次々と吹きだす。緑が土を覆っていく。草の葉が風にそよいで薫る。
冬は終わった。
廃墟の幻想は消え去り、今まさに二人を包むのは、懐かしく焦がれた故郷の風景そのもの。
光は二人にも降り注ぎ、彼らを満たした。温もりが体を巡り、傷は癒される。
役目を終えた器の封印は解かれた。器を守る義務も消え去った。二人は解放されたのだ。互いは目を見交わし、手を取り笑いあった。
器であることをやめた彼の瞳はもう闇の色をしていない。それは温かな紅茶の色だった。
身に纏う服は相変わらずの襤褸のままだったが、彼はもう自分で歌がうたえる。自由になった言葉、ふるさとの言葉で歌うことができる。
その歌は役目の間に二人を支えた旋律と同じだが、詞は異なっている。
それは春の訪れを祝う歌だった。
納屋の軒に燕が戻り、牛や羊が草を食み、仔を育てる春。花が咲き鳥が歌う、輝かしい春!
そしてこの土地では春が一年の始まりである。
新年おめでとう。
今回はうたかたシリーズではありません。
Carol of the Bells というクリスマスソングが好きで、ネットでいろいろ調べるうちにこのお話ができました。
雰囲気重視なので、歌の歴史や風土などはほぼ考慮していません。
この三ヶ月ほど、何年かぶりで集中して二次ものをやってみたら、気付くことがありました。内から湧き上がる情熱にブレーキをかけないこと!
オリジナルをやってる間、知らず知らず抑えてる部分があったんですね。これは今後に活かせるかも。
次回はうたかたシリーズをやりたいです。
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