微睡む卵 うたかた@ちゃり

ここは海に浮かぶ円盤状の医学系実験都市「あこや」、そこから長いチューブで海中に吊るされた球体の病院都市は「白珠」という。
ここでテルミは都職員として実験動物の飼育管理と、それにまつわる陸上での調達業務に従事し、海と陸とを往復しつつ暮らしている。

「お疲れさまでしたー」
一日の業務を終え、マウスやラット、ニワトリその他、動物たちのケージをひとつひとつ点検してからテルミは出入口へ向かう。外部からの影響を避けるため、飼育室は「あこや」の中でも隔絶されている。二重扉をくぐり、エレベーターで何層も上がってテラスへ出た。暮れ方の風を浴びてテルミはほっと息を吐いた。
四方は海、西には金色の波が幾重にも連なって寄せる。東の空は薄青く暗くなっていくが、ここは陸地よりもだいぶ南に離れているので、冬のこの時期でも頭上の空はまだまだ眩しい。空には海鳥が飛び交っている。
仕事場にいる生き物たちのことを思う。実験材料となる動物たちに情動をまったく動かされずにいるのは無理があるが、できる限り割り切って作業する。
少なくとも職場を離れている間は、意識を切り替えてプライベートを充実させたい。テルミは終業後のテラスでいつもそうするように、肩を大きく回して海風を深呼吸した。
今日は恋人とデートだ。満喫して明日への活力にしよう。

テルミの恋人は「あこや」に出入りしている運送業者の、自転車便部門のメッセンジャーだ。就業時間や仕事場が定まらないので会うのはなかなか難しい。二人とも海と陸とのどちらにいるかは時によるし、今日はデートと言っても、それぞれの居場所で同じ時間にSNSのライブ通話を繋げ、画面を通して食事や会話を一緒に楽しむことにしていた。
明日テルミは休日で、続く二日間に陸上業務があるので今日はこれから実家へ戻る。
陸と結ぶ小型ジェット機の発着所でスマホをチェックすると、彼からのメッセージが早々と入っていた。

(お疲れー。今日は定時で上がれそう? 予定どおり自宅に帰ってね。では後で!)

それだけで温かい気持ちになってテルミはスマホを鞄にしまった。
八時までには家に帰れる。きっと彼の方が早く通話を繋げて待っているから、帰ったらすぐにPCの電源を入れよう。
彼と知り合ったのは五年前。休日にテルミが一人サイクリングを楽しんでいたら路上で行き倒れている彼に出会った。道端にうずくまる黒い塊、大きなゴミ袋が道にはみ出しているのかと思い、危ないから退けようと自転車を降りて近寄ってみると人だった。
ガードレールに立てかけられた自転車、ヘルメットやグローブなどの装備、そして背中のメッセンジャーバッグに気づいて、テルミはこれが事故でないならハンガーノックかと思い当たった。車で言うならガス欠のようなものだ。
「大丈夫? 紅茶飲む?」
自転車用のゴーグルで目元の表情は分からなかったが、とりあえず自分の自転車からボトルを取って差し出した。彼は無言で受け取り、呷るように口に運んだ。
「怪我はないの?」
彼が頷くのでテルミはホッとした。
「良かった。エナジーバーもあるよ。急がなくていいから」
手渡した栄養補助食品を彼はさっそく食べようとするが、手が震えていて袋を開けられない。テルミはそれを取り返して袋を引き裂き、中身を彼の手に置いた。
彼は有り難そうに何度も頭を下げたが、始終黙ったままだった。ハンガーノックのせいで喋る元気がないのかとテルミは気にも留めなかったが、後に親しく関わるようになってから彼には発話に障害があることを知った。
初めて会った日は特に名前も聞かずに別れ、それから二週間ほど後、テルミが職場の集荷場所に小荷物を持っていくとそこに彼がいた。
「あ! この間の」
彼もすぐに気づいて笑顔になり、首に下げた端末機の画面に指を走らせた。手袋をしたままだった。

こんにちは! 先日はありがとうございます。おかげで仕事に穴を空けずにすみました。またお会いできて嬉しいです

「あ、筆談のほうがいいのかな」
テルミが身振りを交えて尋ねると、彼はまたタッチパネルに書き込んで差し出す。

耳は聞こえるので口話で大丈夫ですよ(^^

それから彼は背中のメッセンジャーバッグからボトルを取り出してテルミに返してくれた。きれいに洗ってビニール袋に包んであった。
「わ、ありがとう。これ持ち歩いてたの? 邪魔じゃなかったですか?」

会えたら返さなきゃと思って、あなたを探してたんですよ。会えて良かった

彼は運送会社の名札を着けていた。名前は日本のものでなく、とても長い。
荷物送り状に押された担当者印は「唐須」となっていた。正式名は長いうえ日本語にない発音なので「カラス」を通用名にしているという。今日は集荷に呼ばれたが未梱包の荷物を待たされていると言い、その場で少し立ち話をした。互いの自転車や補給食のことなど。

以後、職場でたまたま顔を合わせれば雑談を交わす間柄から、やがて共にサイクリングなどを楽しむ友人になった。テルミは口話、カラスは筆談と身振りでコミュニケーションを取る。会って話すに全く支障はなく、むしろカラスのタイピングが恐ろしく速いのでSNSでのやりとりではテルミの書き込みが間に合わず、会話に間が空いてしまうこともあった。ある日の会話はこんな感じだ。

(テルミ! 虹が出てるよ。空を見てみて!)
(雨の後の空は綺麗だよね。今は建物の中? まだ仕事中かな?)
(ずっと部屋の中で仕事というのも大変そうだなあ。少しは陽の光を浴びたほうがいいんだけどね。僕は外を走る仕事だからいいけど)

(えっ虹、いいなあ。見えないよ。カラスは今陸地? 私はあこやにいるから)

(そうかあ、残念。写真撮ったから送るよ。大井のあたりにいる)
(画像)
(そう言えば、怖い病気が流行ってるらしい。テルミも気をつけて、疲れを溜めないようにね。働きすぎないように!)

(仕事終わって外出たとこ。おつかれさまー!)

最後の会話は繋がっているようにも見えるが、テルミの書き込みは二行目への返信だ。付き合いはじめの頃は「もっとゆっくり書いてよ、こっちの返事を待って!」と苦情を呈したりもしたが、ずれた会話も今では慣れてしまい、それぞれのペースで楽しんでいる。

陸地へ帰る小型ジェットの機中でも二、三、メッセージを交わした。今日は夕焼けがきれい、通勤で空を飛べるなんて羨ましい、もうすぐ着陸、お腹空いたー、など。
普段と変わらないフライトだったが、着陸間際にいつもと違う機内放送があった。
「ーーーの影響で首都圏の鉄道に遅れが出ています。〇〇線、△△線、…、各線50分以上の遅れ、ーー線は運転見合わせ…」
冒頭を聞きそびれ、テルミは眉をひそめる。電車は動いてさえいれば帰れるが、遅れるかもとカラスにメッセージを入れた。
即座に返信が来る。

(××線は比較的動いてるから〇〇駅回りで帰るといいよ。混雑してるようだから気をつけて。何かあったら連絡して)

カラスはこういった情報収集も判断も早い。頼りになるなあと思いながら機を降りたテルミは急ぎ空港通路を抜けて駅へ向かう。慣れた道だがどこか雰囲気が違っていた。そこここで人が所在なさげに立ち止まりスマホの画面を見つめたり通話したりしている。テルミも同じように自宅に電話をした。
『ああ、テルミ。大丈夫?』
案ずる母の声。
「うん、ちょっと遅くなるかもだけどこれから帰る。なんかあちこち混乱してるんだけど何があったの? ニュース見てる間がなくて」
『それがあたしもよく分からなくて。どっか外国のほうで事件? 事故か何かあったみたいで、帰れる人は家に早く帰れってテレビで言ってるの』
「何それ、外国でって、テロか何か? 最寄りの避難所とかじゃなくて、家へ帰れって?」
『まあともかく早く帰って来なさいよ、電車乗れそう?』
「うーん多分……、ま、とにかく帰るわ」
『気をつけてね』
駅改札前は人が溢れていた。確かに世界のどこかで何かが起きている気配はするが、電話も通じているし、電車もダイヤ乱れながら走ってはいる。群衆の中に危機感はさほどなく、ただ誰もが困惑していた。時おりスマホのニュースサイトをチェックしても目新しい情報はなかなか出てこない。混雑の中テルミはカラスのアドバイスに従って乗り継ぎ駅で地下鉄を降りた。
人波の流れに歩調を合わせてゆっくりと通路を進む。もしこの駅で改札を出て信号を渡り日の沈む方へ歩いて行くと、デートの時に二人が時々待ち合わせた公園がある。滝を模した噴水の広場でテルミは自転車を停めてカラスを待ったり待たせたりした。今日もそうなら良かったのに、とテルミは振り返る。

ごめん、遅れた、と身振りで詫びながらカラスは噴水とテルミの間に自転車を滑り込ませてきた。軽やかに自転車を降り、首に下げているタッチパネルに文字を打って見せてくる。
『また職質に捕まっちゃってた』
テルミは笑った。
「またぁ? 真っ黒い服ばっかり着てるから悪目立ちするんだよ。ゴーグルまで黒だし」
カラスは大きく息を吐いて、これまた黒い手袋の指で画面に文字を綴る。
『そういう服装をしたいんだからしょうがない』
「服の趣味まで名前に合わせなくてもいいのに。ま、どうぞご自由に。ボトルいる?」
ぬるい紅茶の入ったボトルを、カラスはありがとうの手振りをして受け取った。
カラスが一息つく間、二人並んで噴水のほとりに立っていた。
またカラスは画面に指を走らせて差し出す。
『この噴水の石積みって、震災の瓦礫を使ってるんだってね。知ってた?』
「うん、そうだってね。でも瓦礫でできてるなんて全然分かんない、きれいだから」
『だんだん忘れていっちゃうよね。この石のひとつひとつがどこかの誰かの家だったなんて』
「そうだねえ」
カラスの手の中にある画面からテルミは顔を上げ、それを持つ黒ずくめの人に目を向けた。
カラスは噴水を眺めていた。
そんなふうに細やかに物事を思い遣る人なのだ、と思って見ると、その横顔がテルミにはまるで初めて会う人のように感じられた。
「もう七十年も経つんだもんね、知ってる人のほうがもう少ないから」
『そんなに遠くないうちに、実際に体験してる人は誰もいなくなるんだ』
「そうしたら、何だろう、これは遺跡になるのかな」
『遺跡、そうだなあ。そこで暮らしてた人たちの遺跡。このまま何千年も、何万年も経ったら、これはどんなふうに伝わってるんだろうね』
「何万年って」
現実感のない数字にテルミは苦笑する。
「そんなに残るかなあ」
『残したいと思わない?』
「うーん、よく分からないな。自分が死んだ後のことは、その時代の人に任せるしかないし」
『テルミはそう思うんだね』
「人間そのものがさ、ずーっといつまでも栄えてるとは限らないし」
『それはまあ、分からないけど。じゃあ例えば、人間の次に栄える知的生命がいたとして、その生き物たちが人間の遺跡を見つけて、保護してくれるとしたら?』
「あはは。それはありがたいね」
『盗られたみたいで、嫌じゃない?』
「だってその頃はあたしもカラスも、誰もいないわけでしょう。何にしても後を引き継いでくれるならありがたいじゃない?」
思いついて付け足す。
「それよりさ、戦争みたいに、よその誰かが壊しに来るのは嫌だな」


雑踏に身をまかせるようにして電車に乗り込み、いつもの水路を北側へ迂回する経路で渡る。普段より四十分ほど余計な時間をかけてテルミは自宅に帰り着いた。
弟と父もすでに帰宅しており、家族が揃ったことに母は安堵した。
テーブルにとり置かれた一人分の食事を前にしてテルミは急に空腹を思い出し、急いでカラスにメッセージを送る。
「無事帰宅しました! アドバイスありがとう、助かった〜。ごめん、先にご飯食べてお風呂も済ませちゃうね。上がったらライブ通話繋ぎます」
『了解、無事で良かった。こちらは急がないからゆっくりでいいよ。通話繋いでのんびり待ってる』
両親と弟は居間の壁に掛かった大画面を眺めている。近頃では居間に家族が揃うのは珍しい光景だ。弟は自分のタブレットを手元に、幾つかの情報サイトをザッピングしているようだ。
「何か新しいこと出てたら教えて」
「うーん、情報が錯綜してるんだよねえ。大陸の方でバイオハザードとか、都内の大規模医療機関で事故とか……。大規模医療機関って姉ちゃんが勤めてるとこじゃないの?」
「マジか。何も連絡来てないよ。それは違うんじゃないかなあ」
テレビはずっとニュースを流しているが、帰路の途中にスマホで見たニュースとさして変わらない。公共交通機関の運行情報の他には、不要不急の外出を控え外出中の人は極力自宅へ帰るように促す言葉、どうしても帰れない場合は防潮堤の外には絶対に出ないようにと繰り返している。
街全体をぐるりと囲む防潮堤、百年前にはそんなものはなかったが、終わらない海面上昇に対応するために築かれた。今では海沿いの各都市はそれぞれが島のように分断され、いくつかの水路、空路で結ばれている。
休み明けの仕事がどうなるのか案じながらテルミは急いで食事や入浴を済ませ、居間に戻ると弟が振り向いて知らせた。
「姉ちゃん、非常事態宣言だって。防潮堤封鎖だって」
「はあ?」
「俺たち東京から出られなくなったよ」
家族全員、困惑した顔を一瞬見合わせて壁の画面に目を戻す。
画面をテロップが横切っていく。
《災害対策本部から発表 防潮堤の全てのゲートを閉鎖 期間未定》
ゲートが閉じれば都市間の水路でのアクセスはできなくなる。
さらにまた速報のチャイムが鳴り新たなテロップが追加された。
《同 風防天蓋を伸張》
現在の映像、と隅に表示の入った動画に切り替わる。都市の周囲をぐるりと巡る防潮堤の上端部から一斉に強化アクリルのチューブが放たれ、街明かりを映してきらきらと光る。それらが自動展開でハニカム構造を形成しながら上昇し、真上で一つに繋がる。夜景の街の上空に天蓋が張られる。
「何これ……。こんなこと、今まであった?」
テルミの問いに父親が困惑顔で答える。
「いやあ……、これは初めて見たな」
中継画像に被せてアナウンサーの声が淡々と流れてきた。
「今入ってきた情報です。東京都は近年流行の兆しを見せている遅発性ウィルス感染症の原因を海中医療実験施設白珠の生物災害によるものと断定し、同施設の閉鎖廃棄を決定しました。また政府は症候群の感染拡大を防ぐため国内各都市の防疫態勢を最大限に」
「すっげー!」弟が忙しなくタブレットを操作し喚声を上げる。「東京だけじゃないよ、全部だ」
交通情報の画面に点る各地のゲート番号、並んで一様に連なる「閉鎖」の文字。都市名に続けて「天蓋展開完了」の表示。これで空路も断たれた。
目を見張るような速さで日本中の都市が小分けにパッキングされていく。
「どういうこと……」
テルミは自室に駆け込んでPCを開き、カラスとのライブ通話に繋いだ。が、画面は暗い。
「カラス! ……今どこにいるの?」
文字を打ち込み同時に呼びかける。
黒い画面に文字だけが浮かぶ。
『いるよ。テルミ、ご飯はちゃんと食べた?』
すぐに応えがあってテルミは少しだけ安堵する。
「うん食べたよ。カラスは大丈夫? 今どこ?」
『テルミはちょっと薄着じゃない? 湯冷めしないように何か羽織ったほうがいいよ』
「えっ、うん」
部屋着の上にショールを巻きながら問い直す。
「ていうかカラス、そこどこ? 画面が真っ暗だよ?」
『テルミは家にいるんだね。ご家族もちゃんと帰ってる?』
「全員いるよ、ありがと。カラスは? 家なの?」
暗い画面に目を凝らし耳をすます。水の音が聞こえる気がする。テルミの耳によく馴染んだ音、大きく小さく、波が埠頭に打ち寄せる音。
「走りに行ってるの? こんな時に。どこの水路? 都内だよね?」
まさか、いくらカラスでも夜間、しかもこの非常時にそれほど遠くまで行くはずがない。都内と言っても広いけれど、まさか防潮堤の外にいるはずがない。もし外にいるなら、封鎖が解かれるまで自分たちは会うことができない。
テルミは胸元にショールを掻き合わせながら思いを巡らす。どうしてか今は自分ばかりが問いをまくし立てている。いつもならカラスがテルミの三倍以上喋るのに応えがない。
「カラス!」
『ごめんね。あこやにいるんだ』
「なんで!」
叫び返しはしたが、やっぱりか、とも思っていた。いつも仕事の後に眺めて一息つく海が画面の向こうにある。黒くうねる夜の波がかすかにあこやの構造物の灯りを映している。
「私には家に帰れって言っといて、なんでそっちにいるの。防潮堤閉まっちゃったよ、陸へ戻ってこれるの?」
『ごめんね、テルミ。多分もう会えなくなった。もっと長く一緒にいたかったんだけど』
「ちょ」
テルミは息を呑み、それから咳き込むように問いかける。
「そんな……何言ってんの。ねえ、ゲートの係の人に聞いてみてよ、何とか通してもらえないかって」
『無理だよ。街はどこも全部、この先何十年も閉じたままになる。僕らは中へ入れないし、僕らのほうでも、もう人間とは距離を置こうって決めたんだ』
「は? 何を言ってるのか分からない」
『テルミ、じゃあ説明するから聞いて。怖い病気が流行ってるから気をつけてって言ったよね。近ごろよくニュースでも取り上げられて、みんなが怖がってる病気。あれは実際には自然にずっと昔からあったんだ、みんな知らなかっただけ。そして僕らも人間たちが気付くよりずっと昔からいた』
「ちょっと待って。ちょっと待って」
テルミは呼吸を整えようと意識した。カラスの落ち着き払った様子に合わせるように。
「本格的にカラスの言ってることが分からない。もう会えないってどういうこと? もっと慌ててよ!」
カラスは柔らかな笑い声をたてた。その口から言葉は出ないが、笑うことはできるのだ。
『好きだよテルミ。この先もずっと。だからテルミは家族と一緒に、閉じた街の中にいて。そこなら当面、病気からも安全だ。僕らは外にいて、僕らの病気と闘わなきゃならない』
「病気ってなに。カラス、病気なの」
落ち着け落ち着けとテルミは自分を押しとどめる。カラスの言葉をちゃんと聞かなきゃならない。彼は何かとても大事なことを言っている、それは分かる。けれどもテルミは受け止めきれずにいる。
『僕は大丈夫。テルミが、最初に会ったとき特効薬をくれたから』
「え?」
『バイオハザードはあったんだよ。今じゃなく、ちょうど僕らが会ったころ。大陸で、卵生人を標的にした病気を研究してた施設で』
「なに、卵生人?」
『卵で産まれる人だよ。その施設では僕らを滅ぼそうとする病気を研究開発してた。で、わざとか事故かわからないけど六年前に、その病原体が施設の外に撒き散らされた。あっという間に広まって、僕もあのとき道端で死にかけてた。テルミがくれた紅茶で命を拾ったんだ』
テルミは画面の前で頭を抱えた。
「どう反応したらいいのか分かんないよ……」
『全部僕の妄想だと思うならそれでもいいよ。ともかく僕らはテルミのおかげで生き残った。僕らみんな、テルミには一生かけてもいいくらい感謝してるんだ。そのことだけはわかってほしい』
絶え間なく寄せては引く波の音がずっと聞こえている。
「あんな、適当な紅茶の一杯で」
カラスはまた笑った。
『テルミ、あの紅茶に何か入れたでしょ。ショウガと蜂蜜と、あと普通は紅茶には入れないもの』
「そんな昔のこと覚えてない」
『昆布だしが入ってたんだよ。テルミがボトルごと渡してくれたから、持って帰って研究できた。まさか昆布だしとの絶妙な配合で特効薬ができるなんてね』
「あああ、思い出した!」
あの日出かける前、たまたま作り置きの紅茶と間違えてめんつゆをボトルに注いでしまったのだった。匂いで気づいてすぐに移し替えたが、まあいいかとボトルをすすがずに紅茶を入れてしまった。
「バレてた……」テルミは両手で顔を覆った。
『テルミ、ありがとう』
「やめてー」
『話を整理するよ。今、白珠によるバイオハザードのせいで世界中に病気が蔓延ということにされてるけど、そうじゃない。あの病気は僕らが産まれてくるよりずっと昔から自然の中にあった。打ち勝つ方法のひとつは、卵で産まれてくること。そして僕らは卵生人だ。胎生人が気づくよりもずっと昔からこの世にいたけれど、胎生人の一部はそれに気づくと僕らを駆除する研究を始めた。そうして造られた病原体が世界中に広まってるけど、こちらは胎生人には無害なんだ』
「つまり……今は世界に卵で産まれてくる人とそうでない人がいて、それぞれを滅ぼしかねない二つの病気があるってこと?」
『そう。二つのうちのひとつは自然現象で、もうひとつは人工のものだ』
「……私はどうすればいいの」
『何も。ただ体に気をつけて、毎日元気に過ごしてくれればそれでいいよ』
「カラスはどうするの」
『特効薬はもうできてるから、僕らは僕らで身を守る。その上で、あとは自然に任せようってことになったよ』
「仕返しとか、しないの、……胎生人、に」
『しないよ。結果がどう転んでも、それが成り行きってことだから。僕らは何も壊したりしない。約束する』
テルミが言葉を失っているうちに、『じゃあまたね。元気でね』という文字列が画面に浮かんだ。
「え、あ、カラス! 待って! まだ私なにも」
通話は終わった。ログにはカラスの言葉だけが連なって残されている。

翌日になって郵便受けにテルミ宛の簡易小包が届いた。差出人の名前はなかったがテルミはカラスからだと思っている。街を出る直前に投函したのだろう。中身は小さな記録媒体で、大量のテキストデータが入っていた。何かのプログラムのソースコードらしかった。どんな働きをするものなのかテルミには見当もつかない。
それでもこれはカラスが、テルミに使って欲しいと託したものだ。これをPCに載せて動かすのにはどれくらいの月日と努力が必要なのかとテルミは天を仰ぐが、時間だけはやたらとあった。
天を仰げば特殊強化樹脂の天蓋がいつも視界に入るので、その度テルミはこれが現実だと思い知らされる。
その後カラスからの音沙汰はない。

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ざしきわらし  ~うたかた@ちゃり

 第三次調査隊には鬼っ子が一人いるという噂だ。
 その人は海から出たくて仕方がなかったらしく、上陸するなり駆け出して森へ姿をくらましたそうだ。

 ここ十数年ばかり、岩棚の町には座敷童の目撃譚が複数みられる。
 技術者たちの工房にいつの間にか入り込んでいて仕事を手伝ったり、図書室の通路を子供がうろうろしているかと思えば大人の顔をしていて、難しい本を読みふけっていたり、食堂で珍しげに漬物を齧っていたり。
 外の畑では誰も植えた覚えのない作物がどっさり豊作になったりした。
 そういった怪奇現象をたびたび目にするようになっても、街の人たちは座敷童を追い立てようとはしなかった。寛容だったのではなく、無視していた。個々人の生活に直接の害を与えないものに関心を払おうとしなかった。
 そんな年月の間、街の内と外の境界は少しずつあいまいになっていった。
 崖の中途に嵌った街の傾きも年を経るごとに少しずつ嵩み、床の水平も調整が追いつかなくなる。住人達は三々五々街の外へ出ていき、崖の上の地面に暮らすようになった。いずれは街全体が崖から滑り落ちてしまうのかもしれず、遅かれ早かれ住み続けることのできない場所ではあった。

「座敷童が住む家は栄えるっていう話のはずだけど、寂しいことになっちゃったねえ」
 森の木々に紛れるような小屋の前庭で、丁寧に洗ったキャベツの葉にシオが塩をまぶしながら言った。
「その座敷童の正体がオレたちなんだもの、推して知るべしってとこだね。ましてやいちばん入り浸ってるのがとらだし」
 朝漬けたきゅうりをポリポリとつまみ食いしながらエーサクが答える。
 とらは岩棚の町のお掃除ロボット・ミネルバに惚れ込んで街の図書室の資料を読み漁り、今は人けのなくなった修理工房に潜り込み独学で機械技術を身に付けつつある。運が悪いのは相変わらずで、機械の修理中に感電したり、研究に熱中するあまり食べ物が傷んでいるのに気づかず中ったりと忙しくしている。
「それはそうと、ロンはこの頃ずいぶん朝寝じゃないか」
「夜遅くまで星を見てスケッチしているからねえ。方角がだいぶ分かるようになってきたと言ってたよ」
 シオもきゅうりを齧って満足そうに微笑んだ。
「彼、次あたり隊商に加わりたいと思ってるみたいだね」
「へえ。次というとピースケたちとは入れ替わりになるけど」
 ピースケは今テトラたちと共に行商の旅をしていて、秋に帰ってくる予定だ。
 うたかたから最初に上陸した七人は鳥たちの協力を得つつ森の中に家を建て、地上暮らしにもすっかり馴染んだ。
 通信の中継基地局として使っていた小型艇をうたかたへ返してしまってからは故郷との連絡も途絶えている。その後第二次、第三次と調査隊がやってきたことなどは、鳥たちの情報網から知った話だ。
「僕たち捨てられたのかなあ」
 故郷から音沙汰がなくなってしばらくはそんなふうに言う者もあったが、
「向こうでもそう思ってるかもな」
 と笑う佐吉のひとことでその話題は終わった。
 座敷童を放置した岩棚の町にしても、自身の日常を暮らしていくだけで手いっぱいなのだ。海から来た人たちは誰もそれを分かっているので、故郷にも岩棚の町にも何かを期待することはなかった。

 もつれた髪を後ろで大雑把に束ねた娘が、岩棚の町のテラスに面した扉口にぽかんと突っ立って何かを眺めている。
 目線はテラスの先。そこで黒っぽい小さな人影がもそもそと何かの作業に打ち込んでいる。周囲には雑に丸めた大きな布の塊や金属パイプ、束ねた大量の紐のようなものが積まれている。
 黒っぽい色合いは羽根ではなく服で、体は小さいが、周囲の道具に手を伸ばす時に見える横顔は大人のものだ。
 娘は目を見開いて呟いた。
「座敷童だあ」
 それから人影の元へてくてくと歩いて行き、「ねえ、何してるの?」と尋ねた。
 座敷童はぴたりと手を止め振り向いた。二人はしばし無言で見つめあう。が、小さな青年は何も答えずにまた作業を再開する。
「ねえ、ねえってば」
 娘は癖っ毛をふよふよと揺らして青年の横にしゃがんだ。並ぶと二人の体の大きさが倍ほども違うことが明らかだ。大きな娘は、青年の作業にいそしむ手元を覗き込んでまたしばらく眺めたのち、
「何か手伝う?」と言った。
 青年は、刈り込んだ髪がそのまま伸びた、葱の花のような頭をもたげ、怪訝そうに娘を見返す。
「あんた、この街の人だろう? 手伝ってくれるのか?」
 娘は嬉しそうに笑み崩れる。
「うん、いいよ! あたしカグラっていうの。座敷童はなんて名前?」
「ぼくは座敷童じゃない。天地(あめつち)だ」
「あめっち。何を手伝えばいい?」
 微妙に違う名前で呼ばれた青年は、今度はまじまじと娘を見据える。
「もう一度言うけど、ぼくは座敷童じゃないし、見ての通りよそ者だ。だけど挨拶もなしで街に入り込んで、資材を勝手に持ち出して使ってる。泥棒だよ。通報しないのかい?」
「つうほう?」
 首を傾げる娘のようすを見てとり、青年は少し話し方を変えた。
「警察官とか、警備員みたいな人に、怪しい奴がいるって言いつけないかってこと」
「しないよー。もう誰もいないもん」
 カグラは膝を抱え込み口をとがらせる。
「先生も、お父さんもお母さんもいなくなっちゃった。友達も」
「……ふーん」
「ねえ、だからお友達になってよ、あめっち」
 からりと笑うカグラに少したじろぎながら青年は頷く。
「……わかった」
「やった!」

 あめっちの指示通りに金属管の束を苦労してテラスまで運んできたカグラは荷物とともにその場にへたり込んだ。
「重いよー」
 物を運ぶのは体の大きいカグラがやったほうが効率がいい。倉庫の高い場所にも手が届く。そう言うあめっちの言葉をもっともだと思い運搬を引き受けたが、カグラの体力はごく普通の娘レベルだし、力仕事に慣れているわけでもない。
「疲れたー。お腹すいた!」
 布を針と糸で丈夫に縫い合わせていたあめっちはそれらを床に置いて伸びをした。
「今日はここまでにするか」
 日は傾いて崖の端にかかり、テラスに影が差してきていた。床面の傾きで道具が転がり落ちないよう、ひとまとめにして防水布で包んでおく。
「ごはんー、ごはん食べに行こ!」
 二人連れ立って傾斜のある廊下を食糧庫へ向かう。その間も街の人間に出会うことはなかった。
「街の人は、みんなどこへ行ったんだろうな」
「崖の上に家を建てるって言ってたよ」
 カグラが棚から堅パンの箱を取ってあめっちに渡す。
「カグラは行かないのか?」
「お母さんがね、あなたももう大人なんだから、一人でも大丈夫でしょうって」
 あめっちは堅パンを箱から取り出し、齧って眉根を寄せる。
「へえ。あんた、歳は幾つなの」
「えーとね、幾つだろう? 大人だよ」
「味気ないな」
 水のペットボトルを呷るあめっちにカグラが言う。
「サラダも食べようよ。パンと水だけじゃつまんない」
「野菜あるのか?」
 カグラの案内で、両手にパンの箱と水を持って今度は水耕栽培の自動プラントへ移動した。整然と並ぶ白い棚にレタスのような葉物とイチゴが育っている。硬質な印象の部屋で野菜が青々と実る不思議な風景だった。
 棚から摘み取ってそのまま食べる。
「うーん、塩けが足りない」
「はい、塩。あとピクルスもあるよ」
 カグラが得意げにタッパーを差し出す。
「いつもここで食べるから、食堂から持ってきてるんだ」
「おお、願ったり叶ったりだな」
 あめっちの言葉にカグラがまた首を傾げる。
「踏んだり蹴ったり?」
「行ったり来たり」
「わかんない!」
 腹が満ち足りるとカグラは尋ねた。
「ねえ、あめっちはいま何を作ってるの?」
「凧だよ。大きな凧で空を飛ぶんだ」
「空を飛ぶの!?」
 カグラが歓声を上げる。
「あめっち、すごい!」
 そう言われてあめっちは口の端を少し曲げて笑った。が、カグラはすぐに顔を曇らせる。
「でもあたしは荷物運ぶのたいへーん。重たいし」
「空を飛ぶんだから、丈夫なものを作らないといけない」
「ねえ、違うものじゃだめなの? おんなじような棒があるよ。お祭りのときに屋台とか作るの。あれなら軽くて楽だと思う」
 カグラはあめっちの手を取って引き、祭り用の資材倉庫へ連れて行った。
「これだよ。どう?」
「へえ、これは良さそうだ」
 軽くて丈夫な資材を手にしてあめっちは矯めつ眇めつ眺める。
「願ってもないよ。これがあればあのパイプは要らないな」
「えっ」
 カグラは微妙な表情をした。自分の提案が受け入れられて嬉しい反面。
「いらないの? せっかく重たいの運んだのに」
「要らない」
「ええー」
 不服そうに頬を膨らませた。

 そんなこんなであめっちの凧は何とか形になり、試験飛行をしようという段になった。
 三角形に近い帆のような巨大な凧を広げてテラスに立っていると、体の小さなあめっちはそのまま風に連れて行かれそうに見えた。カグラは凧の布地と骨をしっかりと掴んでいる。
 あめっちは凧の重心に自分の体を吊るすハーネスや、各部位をつなぐワイヤーの具合を念入りに確かめている。
「カグラ、もう手を離していいよ」
「ここから飛ぶの?」
 カグラの巻き毛をくるくると風が揺らしている。
「助走をつけて、テラスの端から飛び立つんだ。ここは本当におあつらえ向きだよ」
 カグラは急に不安そうな顔つきをした。
「危なくない? ここ、すごく高いんだよ。端から下を見ると目が回っちゃうよ」
「下は見ないで、ただ飛ぶんだ」
「ねえ、やっぱりやめようよ」
「カグラ、手を離して。掴んでいたら却って危ない」
 言われて素直に手を離すが、カグラはなお大きな声を張り上げる。
「行かないでよ。行っちゃって帰ってきた人いないんだよ」
 あめっちは振り向き、まっすぐにカグラの目を見た。
「ぼくはずいぶん昔から、飛ぶことしか考えてない。そのためだけに海の底からここへ来たんだ」
「いやだよ! あめっちはいなくならないで!」
 懇願は何の力も持たず、あめっちは思い切りよくテラスを駆け出し、床面の縁を蹴って空へ身を投げた。

 星空観察から戻ってきたロンが大きな欠伸をしながら食卓の椅子に腰かけた。スケッチ帳を脇に置いて、小皿からきゅうりの漬物をつまむ。
「うん、おいしいです」
 無精ひげがワイルドなようすになっているが口調は穏やかだ。朝食の支度をしている半蔵に問いかける。
「第三次調査隊の、噂の鬼っ子、空を飛んだそうですね」
「ああ、即席のハングライダーでね。海から出てきて間もないのに大したものだよ。飛びに飛んで、それで海に落ちて大けがをしたらしい」
 苦笑交じりの半蔵の口ぶりにロンも一息つく。席から立ってスープの椀を食卓に並べる。
「大丈夫だったんですか」
「命には別状ないようだよ。佐吉が岩棚の町の医者たちと一緒に治療に当たってる」
 半蔵は鍋の蓋を木のお玉でカンカンと叩いた。
「みんなー! ごはんだよ!」
 手作りの割烹着姿が実にさまになっている。絵に描いたような朝の台詞を放ってから半蔵は話を続けた。
「鬼っ子がグライダーを作るのを、岩棚の町の女の子が手伝っていたそうなんだよ」
 ロンは驚いて目を丸くする。
「えっ、岩棚の町の?」
「そう。鬼っ子が飛んだ時ちょうど、とらがあそこの図書室に行っていて、女の子が泣きじゃくっている声を聞いてテラスに行ってみたんだと。宥めてもすかしても泣きやまなくて難儀したそうだよ。しかたがないから崖の上に連れて行って、トレスさんとこに預けてきたってことだ」
「へえ……。トレスさんてあの人ですよね、カラスの。酒好きの」
「そう。これはなかなかいい話だと思うね」
 話している間にエーサクとシオもやってきて食卓に着いた。
「いただきまーす」
「それにしても第三次はまた個性的なのが来てるねえ」
「ひょっとして調査が目的じゃなく、島流しなんじゃないの」
「まさか!」

 カグラがカラスの子供たちと庭で色つき石を弾いて遊んでいるところへ、包帯ぐるぐる巻きの男が松葉杖を突いて歩いてきた。片腕を三角巾で胸の前に吊り、顔にも大きな絆創膏を貼り付けて目だけ出ている。
 気づいたカグラは驚いて立ち上がり駆け寄った。
「うわあ、すごい怪我だね! 大丈夫?」
 小柄な男は何と答えて良いか分からずに黙っていた。
「どうしたの? 痛いの?」
「痛くない。いや、少し痛いけど、大丈夫だよ」
「うわ!」
 声を聞いてそれが誰だか分かったらしい。カグラは目を見開き、両手はぎゅっと握ってその場でぴょんと飛び跳ねた。
「あめっち! あれっ、久しぶりだね! どこ行ってたの?」
 嬉しさが弾けるようなカグラの笑顔に気圧され、あめっちはただ与えられる言葉に応えた。
「特に、どこってことはないな」
「おかえり!」
「ただいま」
 
 
 
 
 
 

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べっこう飴でつかまえて  ~うたかた@ちゃり

 斜めに崖にめり込んだ街の電力が復帰して扉が開き、外との出入りが自由になると、人々は占いマシーン「テルミ」に対する興味を失った。だからそのモニタールームは今はほぼスミ専用になっている。
 鳥たちの声を人の言葉に変えてくれるシステム「テルミ」。人々に顧みられなくなった今でも画面にぽつりぽつりと言葉を映し続けている。それがどれほど正しいものかは分からないが。
 街はいま新年の祝いの真っ最中、一週間続くそのお祭に誰もが浮かれて楽しんでいる。
 スミは祭の街を飾るための大小さまざまな祝賀の絵を全力で描き上げ、期限を守って納品するなり寝床に倒れこんで貪るように眠った。だから目が覚めても暫くは気力のエンジンがかからずに、祭の賑わいからもなんとなく身を遠ざけて、テルミの部屋に一人でいた。
 誰はばからず大あくびをしながら、古くさい大きなモニターに映し出される愛想のない文字を眺める。
 
<おかえり> <ひさしぶり>
<旅> <カラス>
<岩棚> <お客さん>
<小さい人> <カラス> <お元気ですか>
 
「んー?」
 スミは目を眇めて画面の文字を追い、首をひねって呻いた。
「あいつ、帰ってきたの? 今まで何をやってたのよ、まったく!」
 モニター前から立ち、足を速めて廊下に出ようとした戸口で小学生くらいの背丈の人影に出くわし、ぶつかりそうになった。
「あっ、ごめんね。大丈夫?」
 スミの呼びかけに少年らしき人物はよほど驚いたらしく身を縮め、顔を隠すように俯いて小さく詫びの言葉を口にした。
「ごめんくださいませ」
「はあ?」
 聞きなれない言い回しにぽかんとするうちに、彼はそそくさと広場の方へ去って行く。
 立ちつくして見送るスミは一人ごちる。
「何あれ……? ごめんください?」
 その人は作業着風の地味な上着を着ていた。今の時期は誰もが競うように華やかな晴れ着を身にまとっているというのに。とはいえスミ自身もくたびれた普段着を適当に着ているのだが。
 あの服の地味さには見覚えがあるなあと、スミは考え込んだ。
 けれど何よりも今は、テルミが吐きだした鳥の言葉だ。もし、あのカラスが帰ってくるのならどうにか捉まえたい。
 手伝いを頼める人物を探しにスミも広場へ向かった。心当ての彼は、現状引き籠っているスミのためにお祭り屋台の食べ物を見つくろっているはずだ。
 せっかくのお祭りなのにね。シイにはいつも世話になっているが今度もまた面倒をかけることになるなあとスミは思う。だが、シイは私の世話を焼くのが嬉しいのだ、ということもスミは知っている。
 はたして、広場の方からその人が両手に食べ物のパックをたくさん持って、廊下をこちらへやってきた。スミを認めて笑顔になる。
「やあスミさん、待ちきれなくて出てきたの? 広場へ行ってお祭りを見物するかい?」
「うん、まあそれもいいわね。ねえ、食べたらちょっと上へ出たいんだけどお願いしていい?」
 シイは拒否しないとスミには分かっている。
「いいとも」
 二人で広場の賑わいの方へ歩きだした。
 街の人たちがすれ違いざま、スミの描いた祝賀の絵を褒めてくれる。
「新年おめでとう! 素敵な絵ね」
「おめでとう! ありがとう!」
「気持ちが明るくなるね」
「そう言ってもらえると嬉しいわ!」
 挨拶を返しながらベンチに空きを見つけて座る。膝の上にシイが買っておいてくれた屋台っぽい食べ物を広げる。焼きそばや鈴カステラ等々。頬張りながら喋る。
「ねえ、テルミがね、さっき言ってたんだ。旅のカラスが帰ってくるんだって。ねえ、こんな時期外れに帰ってくるカラスなんてあいつしかいないと思うの」
 シイの表情からお祭りの雰囲気が若干削げた。スミは構わず続ける。
「もしそのカラスがテトラだったら、どうしても会いたいのよね。だから上で、通りかかった鳥に呼んでくれるように頼もうと思って」
「そうか……。彼に会いたいんだね。分かった。じゃあこれを食べたら画材を持って上がろう」
 スミは横目でシイの様子を窺う。
「うん、お願い。でね、テルミが言うにはどうやら彼、子連れみたいなんだ」
「!?」
 一瞬シイが口の中のお好み焼きを噴き出しそうになって堪えたのをスミは見逃さなかった。
「そういう訳だから、よろしくね!」
 スミはにんまりと笑った。
 あとは他愛無い話をしながら、食べ物を腹に納めていく。広場を行き交う人々の風情を眺め、スミはその一隅に先ほどと同じ地味な色合いを見つけた。
「あ、さっきの子かな」
「え、誰だい?」
「さっき廊下で見かけたの。珍しい服よね」
 その人物は人波の間から屋台の一つ一つを遠慮がちに、しかし興味深そうに覗きこんでは何も買わず、名残惜しそうに次の屋台に移っていく。
「なんか挙動もこれでもかっていうくらい地味ねえ。地味すぎて逆に目立ってる感じ」
「あの子はお腹を空かせてるんだろうか。クーポン持ってないのかな」
 その人がしょんぼりと寂しげな背中をこちらに向けたとき、そこにスミはまさに自分が描いた花柄を見た。
「あー!」
 鈴カステラの残りをシイに押し付けて立ち上がる。
「君ちょっと待って!」
 声に振り返った人物は戸惑ったようにその場に立ち竦んだ。シイがスミの横を追い抜き、素早く回り込んで彼の肩に手を置く。
「ぎゃー!!」
 途端に彼が大きな悲鳴を上げたので居合わせた皆が振り返る。しかしそれもすぐに雑踏に紛れ、誰もがそれぞれの目当てへ戻っていく。
 怯えたように突っ立っている地味服の人物と、その肩に手を置いたままのシイ、追いついてきたスミが広場の人の流れの中に取り残されている。
 地味な人は震え声で訴えてくる。
「な、なにとぞご勘弁を……、悪事を働く所存など塵ほどもなく、立ち並ぶものことごとく珍しく我ひたすら驚くばかりにて、ただ眺めておりましてございますぅ……」
「え……、えーと……?」
 スミは言葉遣いに面食らいつつ、とりあえず優しい声で話しかけてみる。
「ねえ、怖がらないで。私たち怒ってるんじゃないの。びっくりしてるのよ。その服の花の絵、私が描いたの」
 彼を促してベンチに戻った。スミとシイとで挟んで座る。なんだか強制連行じみた風情になった。
「ね、あなた、浜辺にいる人でしょう? どこの街からどうやって来たの? いつから、どうしてここにいるの? 他のみんなも一緒なの?」
 知りたいことをつい一気に問いかけてしまって、相手はフリーズしている。しくじった、とスミはその人の顔をちゃんと見てまた驚く。子供かと思っていたが顔立ちは青年めいている。ただ体全体のサイズが小さいので子供のように見えていたのだった。
「あら……、子供っぽい柄を描いちゃってごめんね」
「えっ、滅相もございません」
 やっと返事はしてくれたが、とにかく緊張しまくっている様子なので、スミはシイから鈴カステラの袋を取り返して青年に勧めた。彼は恐る恐るといった態で顔を寄せ、「なんとかぐわしい」と言った。
「いいから食べなよ」
 些かじれったいと思った表情を読まれたか、彼は焦った手つきでカステラを頬張り、すぐに喉につかえさせて咳き込んだ。「美味しゅうございます」涙目でそう言う。シイが買ってあったサイダーを差し出すと、勧められるまま飲んでまた咽る。
「なんか……虐めてないからね!?」
 慌てるスミに青年は儚げな頬笑みを向けた。
「どうぞお気になさらず。これがわたくしのさだめなのでございます」
 シイの表情が引きつり気味だ。
「な、名前を聞、お伺いしてよろしいですか」
「とらと申します」
 名乗って幾分落ち着いたのか、彼は一息ついて逆に問い返してきた。言葉づかいが仰々しくてまどろっこしいのでスミは脳内で翻訳することにする。脳内翻訳では彼はこう尋ねている。
「この服の絵を描いたのはあなただったんですね。では、あなたがスミさんですね?」
「そうよ。どうして名前が分かったの?」
「テトラさんに聞いたんです。僕らはテトラさんの案内でここまで来ました。あなたを訪ねて来たんです」
 スミは大きく息を吸い込んだ。
「テトラ! やっぱり一緒なのね!? 彼、今どこにいるの?」
「あの人は街の外にいます。自分は街には入れないって言ってるんです。昔、あなたにとても悪いことをしたからって言って、それをとても気にしています。合わせる顔がないって」
「あいつまだそんなこと言ってんの、まったく! やっぱり会って話さないとだめね」
 そこでスミはとらに向きなおって尋ねた。
「あなたたちはどうやって彼とコミュニケーションを取ってるの? 私は絵を使うけど」
「翻訳機械があるんです。テトラさんが遠くの街で手に入れてきたそうです」
 シイもスミも驚いて顔を見合わせた。
「へえ、それはすごい」
「そんな機械ができてるのね! テルミの進化系かしら? 鳥と言葉が通じるなんてすごい。会いたいわ」
「でも、あの、そう言えば、『俺が来てることは内緒にしといてくれ』って言われてました、僕」
「えっ?」
 スミは改めてこの見慣れない隣人をじっくり見つめる。
「それ、もう無効だから」
 とらも丸っこい目を瞬いて見つめ返してくる。
「ですよね……。僕らも、テトラさんはあなた方に会った方がいいと思ってました。そのほうがいいですよね?」
 というわけで合意が形成された。とらの言うには街の上の台地にもう一人の仲間が待っており、そのそばにテトラが付き添っている。ともに来るはずだったのだが途中で具合を悪くして、静かな場所で休んでいるそうだ。
「でも一緒に街へ入った仲間がもう一人いて、この人混みではぐれてしまったので、まず彼を探さないと」
 そう言いながらとらは悠長に腰掛けたまま、サイダーを美味しそうに飲んでいる。そのうちに当の本人が人波の向こうから、とらを見つけてベンチに駆け寄ってきた。
「とら! お探し申しておりましたのに、さように安閑としているとは何としたことか!」
 こっちも脳内翻訳が必要だ。スミは伏目になって考えた。どうやらこの人たちの会話ぶりはこれが通常であるらしい。
「何を食べてるの? 美味しそうだね」
 とらとそれほど体格の変わらない、やはり地味な砂色の作業着姿の青年はとらの手元を覗きこむ。そういう彼も片手に綿菓子、もう片手にべっ甲飴を持っている。
 交換交換、と二人は手にしたものを受け渡し、さっそくかぶりつく。美味しい! と感激しあっているところにシイが声をかけた。
「えーと、こんにちは」
「ぎゃあ!」
 新たに加わった青年にも悲鳴を上げられた。スミとシイはまたも目を見交わす。この人たちはどうも真正面のもの以外、周囲があまり見えていないような気がする。
「いちいち面白いわ」
 互いにざっといきさつを話し、名を教えあった。
 合流した青年はエーサクといい、祭の喧騒にまぎれてとらと二人で街に入ってまもなく、前を行く人が何かのカードを落としたのに気づいた。拾って手渡すととても感謝され、屋台で使えるクーポン券をもらったそうだ。
「綿菓子ってすごいですね! 甘くてふかふかで、齧るとさりっと溶けて、とても美味しいです!」
 それからもじもじと「梅干しもないかなって思って探したんですけど、ないでしょうか」と尋ねた。
「果物の類はちょっと貴重なのよ。滅多に出てこないわ」
 果物が出回るのは隊商が来た直後、しかも干したものだけだ。逆に街なかの菜園で作られるトマトやイチゴは珍しくないので、お祭りの屋台には登場しない。おでんの大根くらいならあるかもしれないが。
「って、今はここの食べ歩きは置いといて、上へ出ようよ。お友達のピースケ君も待ってるんでしょう?」
 彼は体調を崩しているというし、早く行ってあげたほうがいいだろう。
 四人は祭りの輪から離れて街を抜け、崖に張り出したテラスに出た。そこから斜面に張り付くように造られた階段を上って行く。
 スミはシイの肩に掴まって階段を上る。二人の新参者はスミの足取りを見て自然に歩調を合わせた。
「平らな場所なら大丈夫なんだけど、階段はバランス崩すと危ないから用心してるの。あなたたちは先に行ってもいいわよ。そうね、テトラを捉まえててくれると助かるわ」
 スミがそう言うと小柄な二人は顔を見交わし、とらが早足になって先を急いだ。手にはお土産の紙袋をしっかり掴んでいる。中身はべっ甲飴と鈴カステラの残りだ。
 スミたちは遅れて階段を登り切り、先導するエーサクに続いて畑を回り込んでいく。
 畑のはずれ、まばらに生えた木のうち一本の根元に大小の人影が腰掛け、その横の地面にもう一人が横たわっているのが見えた。大きいほうの人物は天気もいいのになぜか雨避けのケープを纏っている。
 ケープを着た人がスミたちに気づき、慌てた様子で立ち上がると小さいほうの人影が咄嗟にその足元に縋りついて引き留め、二人ともその場に倒れた。
 スミは思わず声を張り上げた。
「逃げるな!」
 精一杯の速度で歩み寄る。身を起こしたカラスは目を逸らし、青空の下、フードで顔をすっぽりと覆って俯いた。
「テトラ、あなたテトラでしょう。私スミよ。昔あなたと……」
「人違いでござる! 拙者通りすがりの者故これにて御免つかまつる!」
「なにそれ、ふざけてんの!?」
 立ち止まるスミの足先はほぼテトラを射程圏内に捉えている。
「スミさん、無茶はいけないよ」
 案じるシイを一喝した。「蹴らないわよ! 何すると思ってるの」
 全力で歩いてきたスミは息を切らしながら言う。
「やっと会えた。テトラ、ずっと会いたかったのよ。なんで逃げ隠れするの! 私たち、一度は友達だったでしょう」
 ケープは彼にはだいぶサイズが小さくて、裾からはみ出した羽毛が風に揺れている。
 顔を背けるテトラの目を追うように彼女は覗き込む。
「こっち向いてよ! 私をちゃんと見て!」
「せ……拙者も会いとうござった。されどそなたの行く末を曲げてしもうたやもしれぬと思えば会うに忍びず……」
 身振りと言葉で話しているのはテトラだが、おかしな音声は彼の腰にくっついた機械から流れ出してくる。スミは片手を額に当て天を仰ぐ。
「力抜ける! その言葉づかい何なの、もう」
「す、すまぬ」
 スミはため息をつく。
「翻訳機械ってそれか……。まあそんなんでも、話ができるなら嬉しいわ」
「会って詫びねばならぬと思うておった……、いずこに身を置きても、いかなるときも」
「もういい!」
 スミは体ごとぶつけるように思いきりテトラに抱きついた。フードを引き下ろして羽毛に手を、顔をうずめて掻き抱く。
「ずっと会いたかった。詫びだのなんだの、言葉なんてほんとはどうでもいいのよ」
 テトラは殆ど息すら止めて固まっている。スミは構わずにぎゅうぎゅうと抱きしめる。
「これで充分だわ。テトラ、会えて嬉しい」
 
 小柄な人たちは三人そろってきゃわきゃわと、街から持ち出してきたお土産を開いて喜んでいる。
 エーサクがそっと運んできたつもりのサイダーのキャップを開けると、ぶわあっと泡が空に舞った。そして甘いシャワーがキラキラと皆に降りそそいだ。
 まだ少し目眩の残っているピースケのために、一団はもうしばらく木の下で休んでいることにした。
 テトラとスミは積もる話が尽きず、それをシイも頬笑みながら聞いている。少し寂しげな様子に気づいたピースケが声をかけた。
「シイさん、ご気分がすぐれないんですか?」
 シイはほんの一瞬たじろいだ。が、苦笑して、ピースケにだけ聞こえるように小声で答える。
「二人があんまり仲が良くて、まるで恋人のようで、ちょっと」
 目を丸くするピースケに告白した。
「はは、嫉妬かな。みっともないですね。知ってたのにな。スミさんが彼のことを忘れてなくて、ずっと好きだったってこと」
 シイは穏やかなまなざしを遠くに投げている。
「私が立ち入る余地なんてないって、分かっていました」
「そこ! 一人で話すすめないで!」
 スミがいつの間にかそばに忍んで来ており、背後からシイの肩に両手を、肩に顎を乗せて横からねめつける。
「ス、スミさん!?」
「私だって分かってたわ、ずっと私と一緒にいてくれたのはシイだってこと。いつも私を守ってくれてたってこと。私、ちゃんと分かってたと思う」
 目を白黒させるシイの顔のすぐ近くでスミはわざと意地悪な声を出す。
「信用ないのね、私。こっちも言葉で言わないとダメなのかなぁ」
「えっ、いや、あの、えっ!?」
「ぎゃあー!」
 とらが悲鳴を上げた。
「飴が! 溶けて全部くっついちゃった!」
 ずっと大事に持っていたため、温まって表面が柔らかくなった金色の飴に鈴カステラと紙袋の切れっ端とが貼りついて、みごとにひとつになっていた。


お久しぶりです。今度は5カ月ぶりでした(汗)
今回はわりと軽い感じのお話になったかな? 思うに、いつもはエーサクがまじめすぎていけないんだと思います。
テトラととらたちの言葉遣いについて、蛇足ながら書いておきますと、あれはスミたちの言葉を現代語と仮定した場合に、スミたちの感覚ではあのような印象になるという意味で書いています。
そういうわけで、正しい古文調ではありません。
逆にとらたちの感覚で言うと、スミたちの言葉はとてもぶしつけで愛想のないふうに聞こえていると思います。

 

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孵化する磯魚  ~うたかた@ちゃり

 それからテトラは何度か浜に来て、旅支度を手伝ってくれた。旅と言うのは大げさだけれど、僕らにとっては初の、目的地のある長距離移動だ。
「必要なのはまず水と食料と、防寒具だな。野宿の時に使う」
 テトラはこれまで自身が旅暮らしに役立ててきた、いろいろな品物を僕らに提供してくれた。干した果物などの保存食、植物の繊維で作ったシートや毛布のようなもの。
 珍しいものがたくさんあり、主としてシオとピースケが興味津々なようすで食いついている。
「こんな織物見たことない。面白い」
 厚手の少し硬い大きな布をシオが両手に広げ、何度もひっくり返してしげしげと眺めている。
「こいつは旅先で、胎生人の村との取引で手に入れたんだ。密に編んであってちょっとした防水になってる。優れものだぜ」
「へえ……こんないいものを作れる人がいるんだ!」
「そうさ! 思わず旅に出たくなるだろう?」
 とテトラは笑った。
 岩棚の町へ向かうメンバーは花模様の上着を着たとらと、食材研究のために同行すると言って譲らないピースケ、記録係として僕。まずは少人数で行ってみて、町の人たちの反応を探ってみる。それこそ会ってみないことには分からないけれど、今まで僕らを放っておくくらいだから、いきなり攻撃してくるようなことはないだろう。――多分。何か新しいことを行うときには、希望的観測も必要だ。
 加えて、テトラの話によれば岩棚の町はもうすぐ新年を迎えるお祭の時期で、市民たちの気分もいくらか緩んでいるかもしれないという。ちょうどその時期に着くようにすれば、上手く行けば子供のふりをして町に紛れ込み、中の様子を窺うこともできるかもしれないと。
「でも、あの」
 とらがおずおずと問いかける。
「そんな、無断で侵入、みたいにしなくても、テトラさんたちはあの町と商取引があるんですよね……ちゃんと自己紹介すれば、町へも普通に入れてくれたり、しませんか」
 これは僕も同じように思っていた。テトラが先導してくれるなら心配はいらないだろう。
 ところがその点を、かの隊商の一員である羽毛の人は危ぶんでいるようだった。
「話したろう、俺はスミが子供だった頃に大怪我をさせてしまってるんだ。噂で聞いただけだが、あの子は今でも足が少し不自由なままだ。あの町では障害を持つ者たちはいい処遇を受けられない。幸いにスミは絵の才能があるからまだ受け入れられてるようだが、もし苦労もあるなら俺のせいだ」
 テトラの言うその理屈は僕らには少し理解しにくい。「うたかた」ではそもそも人間は計画通りの必要数だけしか生まれてこないので、どんな人でも一様に市民としての役割を果たしていかなければ社会が成り立たない。「町に受け入れられない」という存在は有り得ない。
 首を傾げて顔を見合わせる僕らをテトラも困ったように見渡した。
「当てにならなくてすまないが、きっと町の連中は俺たちに対して、いい感情は持っていないんだろうな。互いに物資が必要だから商取引の場には出てくるが、逆にそれ以外の時には俺たちと関わろうとしない。だからむしろ、彼らと会うときには俺はいないほうがいいかもしれない」
 ともかくも、結果は行ってみなければ分からない。
 実のところ、僕の不安はまったく別のところにある。それは地上の人と僕たちとの間にではなくて、僕らと「うたかた」との間に。
 ところで今回の偵察旅行に対して我らが故郷からの反応はどうかというと、議会でも結論はまだ出ていないらしく、「GO」も「NO GO」もない。ただ定例通信で、感染症にだけは重々気をつけろという短い文章が届いただけだった。「うたかた」としてはやはり僕らをただ見守る他にできることはないのだろう。
 それからまもなく、海中からの風船便で魚や野菜のレトルトなど、いつもより沢山の糧食が届いた。まあこれが返事と言えば返事だ。
 できる範囲での仕度を整え、僕らはテトラと合わせて四人、町へ向かう道へ足を踏み出した。
 浜に残る半蔵たち四人が、テントの横に立って僕らを見送ってくれている。
 僕らは森へ、軟らかい土を踏んで行く。今まで気に留めたことはなかったが、僕らの足元に、茂みの間を抜けていく細い道が確かにある。これまで浜やその近辺をうろうろしていた僕たちのこんなにすぐ傍で、きっと鳥の人たちが何度かこの道を使っているのだ。
 道は緩く起伏を繰り返しながら少しずつ上って行く。僕は時々浜の幕屋を振り返って見たが、何度目かにもう木立に紛れて何も見えなくなった。
 とらは歩き始めから殆ど振り返ろうとせず、気をつけて足元を見ながら用心深く歩を進めている。ピースケは逆にしょっちゅう来た道を振り返り、いっそ後ろ向きに歩いたほうが速いのではと思うほどだった。
 道を先導するテトラは道々僕らを常に気遣ってくれ、特に靴擦れに注意して多めに休憩を取った。足が基本だからな、と、少しでも違和感があればその場で止まって靴を調整するようにした。
 そうしつつ、彼は時おり風に黒い羽根をそよがせ、空を振り仰いで眺めている。
「鳥と話してるんですか?」
 ピースケが尋ねると笑って首を振る。
「いいや、雲の動きを見てるんだ。あと数日はいい天気が続きそうだよ」
 僕らはじわじわと這い進むように道を辿り、二晩野宿をして、実際どのくらいの距離を進んだのか僕には全く分からない。
 道中ピースケは常に全方位、全力で脇見を繰り返し、気になるものを見つけては立ち止まってメモや標本を採る。彼の興味はいつの間にか食糧確保に留まらず、落ち葉や木の実の殻、鳥の羽、虫の死骸なのか、何だかよく分からないもの、様々なものを拾い集めている。
 休憩のときはめいめいに湿っていない場所に腰掛けてボトルの水を飲んだりおやつを摘んだりし、テトラの持ってきた干し果物と、僕らの魚の燻製を交換したりした。
「楽しいです! 旅って楽しい。お祭みたいですね」
 ピースケはいちいち目を輝かせている。
 とらの様子はまあ予想通り、不運な出来事が何も起こらないことだけを祈って大人しい。
 僕はただそれらを淡々と、携帯タブレットに記録していくだけだ。
 そして日が暮れる前に野宿の仕度をする。鳥の人たちには使い慣れた場所がいくつかあるらしく、テトラの指示通り風の当たりにくい斜面の窪みに防寒シートを敷いて、快適な休み場所を確保できた。
 地上のことをほとんど何も知らない僕らが、知らぬまま鳥たちに守られ、その上テトラのような旅慣れた同行者に恵まれて、こんな夢にも見なかったような場所を旅しているのは驚くべきことだ。うたかたから出てきたときの僕らは、使い捨ての偵察隊でしかなかったのに。
「うたかた」の中で暮らしていた頃、僕たちはそれぞれの役割以外の特徴を必要としていなかった。むしろ議会からの指示通りに動くことが市民の価値だった。その僕らが、地上に来てから少しずつだが各人の行動や性格に個性を獲得しつつある。
 水の中から脱し、議会の支配力が失せてから、一人一人の違いがどんどん強くなってくる。
 正直な気持ちを言えば、僕はそれを少し怖ろしく感じる。故郷から僕らがどんどん離れていくようで、個性を得る分だけ何かを失っていくようで、怖いのだ。
 この地上から見てみれば、うたかたの小さな社会は閉じられた水槽のようなものだったかもしれない。けれどもそこから出てしまって、この茫洋と広い地上で、僕たちはしっかりと自分を保てるのか。
 この乾いた空気の中で僕らを守る殻のようなものが、地上にはない。この世界で小さな僕たちが自らを確立して、自分を信じていけるのだろうかと。
 だけれど僕のその不安はまだ誰にも話していない。報告書と平行して残している、この私的なメモに記しておくだけだ。

 そう、個性の獲得。その変化は誰よりも先んじてピースケに訪れた。
 浜を後にして三度目の夜、休息場所に防寒シートを敷いて寝床を作り、身を落ち着けてしばらく後、ピースケが疑問を口にした。
「地面に木漏れ日が差してる。夜なのに」
「月影だよ」
 テトラが答える。
 シートの上に座って毛布を体に巻きつけながら、ピースケは薄暗い地面の上にひっそりと、けれども確かに影を落とす木の葉の形を不思議そうに見つめていた。それから首をもたげて見上げる。影を作る光の降ってくるその方向を。
「空が明るい」
「上弦の月だな」
 月は僕にはまだ見えない。浜のテントで過ごす夜は灯りを絞ったランタンを絶やさないし、夜空の明るさを意識したことはまだなかった。
 ピースケはその後はもう何も言わず、静かに横になっていた。

 その翌日も好天で日の光が明るくて、それを透かす木の葉の緑が美しかった。けれど僕には相変わらず、少し離れた前も後ろも木々の枝が折り重なって見通せない。
 僕にとっては変化の分からない木立の中の道で、ピースケが突然ぴたりと歩みを止めた。
 彼はどこか分からない中空へ真っ直ぐに視線を向け、呆然と立ち尽くしている。
 仲間の異変を見て取り、とらがうろたえて手を差し伸べる。
「ど、どうしたの?」
「う、わ、あ……」
 ピースケは答えず、うめき声を漏らす。
「何ですか、これ、未来予知?!」
 先頭を行っていたテトラが振り返り、駆け戻ってくる。そしてピースケの視線を辿って頭を振り向け、同じ方向を見て問いかけた。
「岩棚の町が見えてるのか?」
「空、の、青い色、の下に、白い地面が、あれは崖? 光ってる平らな、あれ、が、町? 小さいの」
 言葉を確かめるように短く区切りながら震えるピースケの声にテトラが丁寧に答える。
「見えてるんだな、そうだ。あれが岩棚の町だよ」
「あんな、小さい」
「遠くにあるものは小さく見えるだろう?」
 ピースケは一瞬息を呑み、それから急に澱みなく喋り始めた。
「遠くにあるのにあんなに遠くにあるものが分かる。遠くにあるんだってことが分かる。あんなに遠くにあるのにここからそれが見える! これからまだずっと歩かないと近づけないのに、あれがそこにあるのがはっきり見える!」
 未来が見えてるんだ、とピースケは怖ろしそうに呻き、勢いよく身を翻して今度は道のりの後ろを眺め渡した。
「いつの間にこんな……こんな高くに上ってきてる! 海が下に見える。うんと下に、僕らがいた海が。ずっと遠くまで青い色が濃いのと薄いのと、海と空との境目があんなにはっきり!」
 そう叫び終わるとピースケはその場にへたり込んだ。テトラが咄嗟に支えたが、腰が抜けたようになって立てずにいる。
「テトラさん、目が回る。気持ち悪い」
「ああ、分かった。楽にしてろ」
 テトラは鉤爪のある手を軽く丸め、手の甲をそっとピースケの首筋に当てた。
 そのまましばらくじっとしてから「大丈夫だ、熱もないし、脈も正常」
 僕ととらは目を見交わした。僕らは背負った荷物の中に体温計や頭痛腹痛に対処する常備薬の類を持ってきてはいる。が、仲間の急変に戸惑うばかりで何もできず、その間にテトラは手際よくピースケの状態を判断していく。
「だがお前さん、今すぐには歩けそうにないな。いきなりいろんな物が見えすぎて、頭がパンクしそうなんだろう。しばらく目を瞑っていたほうがいい」
 思い返してみればピースケは浜に上がった当初、環境の急な変化に対応しきれずにしばらく寝込んでいた。おそらく今またあの時と同じような状態になっているのだ。
 テトラが頭の羽毛をわさわさと掻きながら言う。
「さて、どうするかな。このまま登れば、日暮れ前には岩棚の上に着く。ここで休むよりは進んだほうがいいと俺は思うんだが」
「ピースケ、大丈夫?」
 とらが心配でたまらないようすで尋ねる。
「うん、ごめん。きっと頑張れば歩けるから、先へ進もう」
「無理しなくていい。俺におぶされ」
 テトラは地面に膝をつき、ピースケに背を向けて示した。
 僕ととらとでピースケの体を彼の背に引っ張り上げた。ピースケは脱力しきってまるで重病人のようだ。
「すみません……」
「心配するな。運んでやるさ」
 小さな僕らの仲間を背負ってテトラは軽々と立ち上がる。ピースケは目を閉じてぐったりとテトラの背に身を預け、黒い羽毛に半ば顔を埋ずめた。
 とらは気遣わしげに二人を目で追っている。僕は気弱な友の肩に軽く手を触れた。
「大丈夫だよ。行こう」
 とらの身に同じことが起こっていないので、少なくともこれは不運な出来事ではないのだ。判断基準としてはあんまりだけれど、ほかに考えるよすががない。
 僕らはほんの少し早足になって、テトラの後を追う。


続く

お久しぶりです! 9ヶ月ぶりくらいでしょうか? 「泣くな、はらちゃん」というドラマを見ていたらオリジナルを書かなきゃいけない気持ちになったのかもしれません。もはやこのお話が面白いかどうかとか、そういったことは考えないことにします。自分のために書いてみる。ここが私の居心地のいい場所であることだけは間違いありません。
磯魚(いそうお、いさなとも読みます)

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こがれる想いを書きとめる  ~うたかた@ちゃり

 それから僕ら三人はテトラと共に、浜の草地の拠点へ戻った。戻る道々にピースケはテトラの足元に纏いつき、目に付く植物が食べられるかどうかひっきりなしに尋ねた。
 浜に着いて全員を呼び集め、大きな黒い羽毛の人を引き合わせるとひとしきりの混乱。その後、ロンはひたすら絶句してテトラを見つめ、シオは彼の来歴や暮らしについて矢継ぎ早に質問をする。佐吉は彼の羽毛や肌、骨格の様子に興味津々で触れてもいいかと尋ね、半蔵はそんな全員を見渡してから進み出て、「初めまして」とテトラに右手を差し出した。テトラは鷹揚な笑顔を見せ、左の前腕を佐吉に撫で回されながら右手を半蔵に差し出しつつ、「胎生人の挨拶は知ってるが、ご覧の通り爪が尖ってるんで、できないんだ」と言う。我らがリーダーはその手を両手で軽く包みこんだ。「半蔵と言います。以後宜しく」
 姿形が違う生き物とのファーストコンタクトでも、言葉が通じるというだけで心理的な障壁はほとんど飛び越えてしまえるらしい。知りたいという気持ちは全てに勝る。

 僕らの暮らすテントはテトラにはだいぶ窮屈なので、皆で草地にじかに座った。テトラは海側に向かって草の上に胡坐をかき、斜め後ろから午後のゆるい日差しを浴びている。
 もてなす用意が何もないので、予期せぬ客人にはうたかたから送られてきた「のど飴」と水を出した。テトラはお返しにバックパックから氷砂糖を出してくれた。ピースケが大感激してそれを恭しく指先につまみ、日に透かして宝石のように矯めつ眇めつ眺めたのでテトラは「それ、食いもんだぞ。甘いぞ」と念を押す。僕らの故郷にも氷砂糖はあったが、お祭の時くらいしかお目にかかることはなかったし、日の光の中で見るのは初めてだ。
「お前らを見てると懐かしい気分になるな」
 テトラは顔をしかめて笑った。
「俺は子供の頃、森で胎生人の子と出会ったことがあるんだ。迷子を助けるつもりが俺はあの子に大怪我をさせちまって、そのまま何もできなかった。だからお前らを見ると、何かこう、できることがあるなら力になりたい。まあ昔の埋め合わせみたいなものなんだがな」
「胎生人、って僕らと同じ人ってことですよね」僕は急いで問い返す。
「ああ」テトラは頷き、とらが着ている服の花模様を指し示す。
「お前さんのその服、その花の絵は誰が描いたんだ?」
 逆に問われた質問の要点が分からないまま、会話の流れで僕が答えた。
「これは分からないんです。風の強い日にその上着が飛ばされて、鳥が、もしかしてあなたの仲間の鳥でしょうか、運んで返してくれたみたいなんですけど、戻ってきた時にはこの絵が描かれていたんです」
 テトラは目を丸くして笑った。
「そうか。それなら、その絵を描いたのはきっとスミだ。俺が昔大怪我させちまった子なんだが、鳥たちとも仲良くしてくれてるようなんだ」
 そしてとらの背の花模様を大事そうに撫でる。とらは背筋を伸ばして硬直した。
「今あの子は岩棚の町で画家になってるんだ。俺はあれ以来会ってないが、隊商の仲間からそう聞いた。あの子の絵がここで見られるなんて、嬉しいことだ」
 僕は更に問いを重ねる。「この絵を描いたのはあなた方の誰かではないんですか?」
 めっそうもないとテトラは手を振る。
「俺たちにはこんな良くできた絵は描けないよ。とにかく手先が不器用でね。胎生人がつくる絵や工芸の美しさはよく解るが、俺たちではあれほどの物は作れない」
 僕らはてんでにぽかんと口を開けていたり、目を見交わしたりしている。
 テトラがごく自然に話題に挙げるので聞き逃しそうになるが、いま彼が話していることは、地上にはまだテトラ言うところの胎生人が、僕らの他にも生きているという意味を持つ。
「つまり、つまり……、あなた方と、その岩棚の町に住んでいるという人たちは別の生き物なんですね? 別々の街で独自のコミュニティーを作って、別の文化を持って暮らしていると。そして彼らは僕たちと同じ胎生人だと」
「ああ、そこからになるのか」テトラは目を見開く。「お前ら本当に何も気付いていなかったんだな」
 そして上体を捻って、僕らにはまだ見えない崖の方角を指し示す。
「あそこに住んでるのは胎生人だよ。体の大きさは俺たちと同じくらいだが、たぶんお前さんらと同じ種類の人間だ」
 その言葉を聞いたとき、僕はまるでたっぷりの湯に浸かったように体温が上がった気がした。その言葉がこれほど体を温かくするとは我ながら意外だった。
 地上に生きている人らしきものは、羽毛の人だけではなかったのだ。僕らが最後の生き残りではなかった。
 どれだけの数かはまだ分からないが、おそらく僕らと先祖を一にする同じ姿形の人間が、岩棚の町には住んでいる。
「だが、岩棚の連中はお前さんらとはずいぶん体格が違うな」
 思案げに首を捻るテトラに半蔵が答える。
「私たちは閉鎖環境での生活を保つために、過去に体を変えてしまったんです」
 どうでもいいことだが半蔵は外部の人間を意識してか、一人称が「私」になっている。仲間内では初めて聞いたので、何だか可笑しい。
「狭い場所で、少ない資源をやりくりしていくために、体を小さく変えたんです」
「そんなことまでできるのか」テトラは恐れ入ったように呟く。
「そもそも、私たちの故郷は医療分野に特化された研究都市でしたから」
「ははあ。それほど進んだ社会だったのに、どうして今はこうなっちまってるんだろうな……」
 どうしてももう一つ重要なことを聞きたくて僕は口を開く。
「人間――あなた方の言う「胎生人」は、その岩棚のほかにもどこかにいるんですか?」
「ああ、いるとも。遠いけどいくつか街があるのを知ってる。規模はどれも大きくはないな」少し迷ってから付け足す。「全体の数が、おそらくあまり多くはないんだ」
 テトラの話では、胎生人たちはそれぞれの街の中でひっそりと隠れるように暮らしていて、街の外へ広がろうとする様子はまったくないらしい。
「現状は、俺たち卵生人の隊商が彼らをつないでいるんだ」
 テトラは言葉を選ぶように深く考え込みながら穏やかに話す。
「彼らは俺たちが他所の町から運んできた品物を見てるから、他所にも仲間がいるってことは分かってるはずだ。なのにそこへ会いに行こうとか、手紙や何かで交流しようとか、そういう意思がまったくないようなんだ」
 僕らはまたも互いに顔を見合わせる。
「どうしてそんな風になっちゃってるんだろう」
「お前たちは言葉が通じない相手に対しては用心深くなっちまうのかな」
 テトラは空を見上げる。
「俺たちは空を飛ぶ連中とも意思や知識を通じ合わせることができるけど。どうにも胎生人の考え方はまだよく分からんね。変に手出しをしていいものかどうか判断に迷ってるところかな」
 彼は空に向かって両手で何か手振りをした。つられて上空を見上げたロンが溜め息のように言う。
「鳥がくるっと回って飛んでいった」
 テトラはふっと息を吐く。
「実のところ俺たちにしても、全体の意見が一つに纏まってるわけではないんだ。胎生人に一切の手出しはおろか姿も見せるべきでないって考える者もいれば、積極的に保護して数を増やしてやるべきだっていう者もいる」
「あなたはどちらですか?」半蔵が尋ねた。
「俺は実際に連中と物の売り買いをする隊商に入ってるくらいだから、関わっていきたいと思ってる。でも品物だけ動かす隊商の活動には批判も多いんだ。却ってお前さんらの自主自立を妨げるんじゃないかってな。俺たちとしては、品物が動くのをきっかけにしてお前さんたち自身が互いの街を行き来したいと思うようになりゃいいって考えてるんだがな」
「あなたはどれくらいたくさんの街を行き来して、見てるんですか?」
「隊商に入っていれば、本来は一年かけて五箇所くらい回るんだが、何年か前にこの翻訳機械の噂を聞いてな、ちょっと遠出して探しに行ってたんだ。何とか無事に手に入れたんで久しぶりに戻ってきたら、ちょうどお前らが海から上がってきたってのは奇遇だな」
 そこでテトラは僕ら一同をぐるっと見渡し、改まった調子で述べる。
「この機械を手に入れたかったのは、胎生人たちと話したかったからだよ。他の町の事は分からないが、岩棚の町の連中が用心深いのは、もしかしたら俺が昔起こした事件のせいなのかもしれない。だとすると、俺はもう同じ間違いはしないつもりだし、岩棚の町の連中をもっと広い場所へ引っ張り出したいんだ」
 いったん言葉を収め、テトラはその手の鉤爪を見つめた。それから目を上げ、もう一度僕ら全員を見る。
「良かったら、どうだ、手伝ってくれないか。俺たちは連中とは姿が違うし、たぶん警戒されてるんだ。お前さんたちなら同じ種類の人間だし、なりも小さいから連中も気を許すかもしれない」
 僕らの目線は自然と半蔵に集まる。半蔵は背筋を伸ばし、テトラに倣うように一座を見渡す。万事に慎重なとらでさえ、控えめに首肯した。
「それはもう、異論はないでしょう。私たちも、地上に住む人たちに会いたい」
 テトラは嬉しそうにその真っ黒な眼を細めた。
「有難い」
 岩棚の町を訪ねてみたい。彼らがどんな人たちだかまだ分からないが、いま地上でどんな風に生きているのか直接聞いてみたい。テトラと出会って間もないのに、僕らはずいぶん大胆になっている。
 しかしテトラの話によれば崖下から街へ直接通じるルートはなく、街を訪ねるにはまず崖上の台地へ上がり、そこから索道を下っていくしかない。そもそも岩棚の町は基本的には閉じていて、隊商が街を訪れる5月と11月の年二回、その決まった時にしか交流はないと言う。
「街の連中は崖の上の台地で作物を作っているから、今の時期に会えるとしたら台地へ行って、畑の作業に出てくる人をつかまえるしかないな」
 加えてテトラは懸念も口にする。
 崖を避けて歩いて台地に上がれるルートはここから大変な遠回りになる。体も小さく、長い距離を歩きなれていない僕らには下手をすると数日かかるかもしれないと。
 だとすると野宿の仕度や食料などの大荷物を抱えて行くことになるので、僕らにそれができるかとテトラは心配している。
「また俺のせいでお前さんたちを害したりするわけにはいかないからなあ」
 けれど実を言うと僕はあまり不安を感じない。もとより僕らが今ここにいること自体が一つの実験なのだから、結果がどう出たとしても全てが大切な記録になるのだ。ともかく行動して、記録していく。それが僕の役割なのだ。

続く

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遠いどこかを見つめるような   ~うたかた@ちゃり

 とらの上着がきれいな花模様になって帰ってきて、僕らはその晩テントの中で輪になって対応を協議した。とは言えそれはいつもと同じ食事風景だったけれど。
 まずは今の今まで半蔵にしか話していなかった出来事を皆に知ってもらうことから始める。つまり、森で道に迷った僕を助けてくれた生き物たちについてだ。鳥のような黒い羽毛を持ちながら人のような暮らしをしている彼らについて。
 その出来事を今まで仲間にも明かしていなかったのは、これが「うたかた」議会からの指示に反することだからだ。
 地上でたとえ人と会っても最低二年は接触を避けること、という指示。
 僕らは今まで議会の指示にすべてを委ねて生きてきた。なのにこの未知の場所で、議会の絶対の指示に背くと言う不安、それを皆に分け与えてよいものか、半蔵と僕は迷っていた。
 けれど今、こうして手元に「とらの花模様の服」という証拠物件があること、またどこかからピアノの音が聞こえてきたこと、それは先方の人(らしきもの)の方から僕らに接触を図ってきたということなのではないか。こうなれば、いよいよ僕ら全員足並み揃えて方策を決めるべきなのだろうと思う。
 半蔵が議長となって皆にそれを問いかける。
 まず服に花の絵を描き込んだものを積極的に探して会いに行くべきかどうか。それについて「うたかた」に指示を仰ぐべきか。
 皆しばらく互いに目を見交わしたりしていたが、やがてシオが迷いのない口調で言う。
「それはもう会ってみたいよね。もうすでにエーサクが出会ってしまってるんなら、今さら接触を避ける必要なんてないんだろう?」
 これに、医師である佐吉が答える。
「未知の接触感染を避けるためという意味ではそうだな。聞いたとおりならもう体が触れてるし、エーサクは出された食料も口にしてるってんだから、今さらだ」
 充電池式ランタンの乏しい灯りのそばで、ロンが控えめに言う。
「じゃあ、議会にはまだ秘密にしておいたほうがいいですよね。言ったらきっと反対されるし、エーサクが何か咎められるかもしれない」
「いや、別に報告したって差し支えないんじゃない? 情報は共有しておくべきだよ」再びシオが言う。「今のところは病気も何もないみたいで良かったけど、今後いつかはトラブルもあると思うんだ。どっちみち報告は避けられなくなるよ」
 とらが不安そうに肩をすくめる。口を挟んだのはピースケだ。
「報告したら会うなって言われるよね?」
「もしそうでも」すかさず切り返すシオ。いつしか彼が議論を引っ張っている。
「僕らがそれに従う必要なんか、もうないじゃないか。議会は海の中から口を出してくるだけなんだから痛くも痒くもないよ。僕らは斥候なんだから「うたかた」にとっては失くせない役割だろ。今現在、実質的な優位は僕らにあるんだ」
 佐吉が呑気な声で言い足す。
「だいたい人がいても会うなって、そんなのできる訳ないよなあ。二百年ぶりに他所の人を見かけたら近寄って元気ですかって声かけるだろう、普通」
「そう言われたらそうかも……」ロンが顎に手を当てて考え込む。
 ピースケが少し身を乗り出した。
「あと、ぼくは彼らが何を食べてるか知りたい。エーサクだけ食べ物を貰ったなんて羨ましい、ぼくだって食べてみたい!」
 モバイルPCでメモを取りながら、聞き役に徹しようと思っていた僕もつい口を開く。「そうそう、あとあの家も、もっと良く知りたい。僕たちずっとここでテント住まいなんて続けられないだろう? あの人たちは森の中に木造の家を建てて住んでたんだよ。もしできるのなら僕らもそうしたほうがいいと思うんだ」
「そうだね。今は気候も安定しているけど、もし嵐なんか来たらこんな話し合いしてられないよ」とシオ。
 確かに、と皆が頷く。
「じゃ、纏めるぞ」半蔵が僕に目配せをする。
「1、森へ行って人らしき生き物を探して会う。2、議会へは事実のとおりに報告する。3、我々の方針と議会のそれが相反する時は、その旨報告の上、僕ら七人の協議によって行動を決める」
「異議なし」

 そういう訳で、手始めに僕が羽毛の人に出会った森へ行ってみることになった。
 そこは通常の僕らの行動範囲からはだいぶ奥へ入り込んだ所で、道に迷いでもしなければ踏み込むことはなかったろう。これからは人らしきものに出会えるまで毎日ここへ通う。参加メンバーは僕と、花模様の上着を着たとら、日替わりでもう一人が護衛に付くという構成とした。
 「うたかた」への報告は僕が森で道に迷ったところから始め、これから羽毛の人と再度の接触を図ることまでを決定事項として書いて送信した。返事はまだない。
 森を散策しながら黒い羽毛の人が見つけてくれるのを待つ。一応僕らのほうも周囲にそれらしい人影が見えないかと気を配ってはいるが、いくぶん遠目の利くロンが同行した日にも何も見つけられなかった。そうして数日が過ぎた。
 その日の同行者はピースケだった。ピースケは森に入ると嬉々として歩き回り、木の実やら茸やら食料になりそうなものを次々に見つけて拾い、木立に分け入っていく。僕は連日あまりに何も起こらないので飽きてきて、とらと一緒に木立の空いた場所に座り込んで雑談していた。
 僕らはその場に一時間ほどもいただろうか。ピースケが僕らのもとへそっと戻ってきて、遠慮がちに声をかけてきた。
「あの……」
 話をやめて振り返ると、ピースケはおずおずと目線をさ迷わせながら背後を指し示す。
「この人、紹介したいんだけど」
 彼の後方の木立から、大きな黒い影がうっそりと歩み出てきた。
 僕は思わず息を飲んで見つめてしまった。
 羽毛を持つ、人に似た生き物。姿かたちはかつて出会ったものたちと同じ、けれどあの時あの場にはいなかった個体だ。
 僕は慌てて立ち上がり、ピースケとその生き物を交互に見る。とらは呼吸さえ忘れたように固まって僕の脚に隠れるようにしがみついた。
 それ、いや、彼か? は、僕らの倍くらいの背丈があり、指先には鉤爪。腰から膝の辺りまでは黒い衣服が覆っているが上半身に纏っているのは自前の羽だけだ。その顔までもが細やかな羽毛で覆われているが、頬には一筋斜めに白い部分があった。傷痕だろうか。羽毛を除けば人間とそう変わらない顔立ちだが、目は真っ黒できらきらとしている。
 彼が言葉を発した。
「おうお前ら、よく来たな。まあゆっくりしていけ」
「喋った!」と足元から、とらの声。
 僕だって驚いた。この個体は人の言葉を話すことができるのか?
 羽毛の人がとらに目線を据える。「ああ? 普通に喋るぞ。よろしく頼むわ」
 びくりと身を竦めるとらを宥めるようにピースケが割って入る。
「この人、さっきぼくが毒のある茸を採ろうとしてたところを止めてくれたんだ。名前は、えーと……」
 言いながらじっと彼を見つめる。それがまるで、うっとりと見惚れるような見つめ方だった。
 羽毛の人は何やら長い名前を聞き取れない発音で名乗った後、
「テトラと呼んでくれればいい」と言った。
 気をつけて聞いてみるとその声は、彼が携えている機械から発されている。腰のベルトに着けられた小さな本のような機械。それが彼と僕らの言葉を通訳しているのだ。以前に会った時は気付かなかったけれど、羽毛の人はかなり進んだ技術を持っているようだ。
 テトラは主に両手を使った素早い身振りと声を交えて話す。一瞬遅れて腰の機械から言葉が流れ出る。どうやら手話のように、手の動きが言語に含まれるらしい。
「お前らのことは空を飛ぶ連中からよく聞いてる。近ごろ噂になってるからな。俺はここんとこしばらく遠出してたんだが、帰りの道中たびたび噂を聞いてたよ、海から上がってきた人間たちのことを」
 僕も彼に話しかけてみた。
「僕は、あの、名前は朔太郎っていいますけど、エーサクって呼んでください。以前ここで道に迷って、あなたによく似た……人? たちに助けてもらいました」
「ああ、迷子の人ってのはお前だったか。体が小さくて子供のようだが大人で、遠くがよく見えない。そう聞いたが、お前さんらはみんなそうなのか?」
「ええ、まあ」
 ピースケもとらも口を挟まないので、まるで僕が代表のように対話する形になっている。
「ええと……僕らとあなた方は、姿もこんなに違う。あの、失礼だったら申し訳ないんですが、あなたは、あなた方はいったい何……誰なんですか」
 ふと彼が微笑んだように感じた。羽毛に覆われた顔は表情がよく分からないが、雰囲気が少し柔らかくなっている。
「ああ、俺の姿は怖いか?」
「えっ、……いいえ」
 見透かされた。
 彼はおっとりとした動作で地面に腰を下ろした。それでようやく、立っている僕より目の高さが少し下になる。彼の黒い羽毛の上で冬の日差しがちらちらと跳ねる。
「俺たちはお前さんたちのことを『胎生人』って呼んでいる。それに対して言うなら俺たちは『卵生人』ってことになるな。はっきりしたことは分かってないが、俺たちの祖先はたぶん鳥だ」
 とらがおそらく無意識に呟いた。
「鳥」
「この羽毛と手足の鉤爪が鳥っぽいだろう。だから俺たちはお前さんらとは全く違う生き物なんだが、お前さんたちが水から上がってきた当初からずっと見て知っていたんだぜ。たまにはさり気なく助けたりしてな。まあ俺は旅の最中だったから、飛ぶ連中から話を聞いてただけで何もしてないが」
「当初から? ずっと見てたんですか?」
「声をかけてくれれば良かったのに」
 つい口から出たという様子のピースケに、テトラは目を向ける。
「お前さんらに、はっきりと分かる形では手出しをしないって決めてたんだ。何て言うのかな、基本は見守るだけで、野生動物保護みたいなスタンスと言ったら気に障るか?」
 彼らにとって僕らは野生動物なのか。確かにこんなにも違う生き物だ。正直、上陸当初に彼らのほうから接近してきたとしたら僕らはパニックを起こして、議会の指示も何もかも反故にして逃げ出していたかもしれない。
 どうしてか、僕たちは知らず彼らに守られていたのか。
 テトラは軽く笑って言葉を繋ぐ。
「で、今は村に帰るところだったんだがお前さんたちを見かけて、まあ見てるだけのつもりだったんだが、あんたが毒キノコを嬉しそうに摘み取ろうとしてたもんで咄嗟に止めちまったわけだな」
「どうも、ありがとう」
 ピースケが目を伏せてお礼を言う。その頬が少し赤い。
 僕は話を続けた。
「迷ったところを助けてもらった時も、とても親切にしてもらいました。どうもありがとう。あの時は言葉が通じなくてお礼が言えなかったんです」
「いや、助けたのは俺じゃないからな」
 まるで保護者のような大らかな、優しい印象。僕は尋ねてみた。
「何日か前にはどこかからピアノの音楽が聞こえたんです。あれもあなた方が、僕らに何か……伝えようとしていたんでしょうか」
「ピアノか。そんなことがあったって話は聞いてる。でもそれは俺たちじゃないんだ」
 テトラは地面にあぐらをかいて膝に片肘をつき、その手で頬杖をついて思案している。
「そうすると岩棚の町からってことになるが、連中がそんな働きかけをするかな。それとも何かの手違いなのか? もしかしたらあそこにも、お前さんたちと関わりたい人間がいるのかもしれないな。そうだったらいいんだが」
 また新しい要素が出てきた。
「岩棚の町、っていうのは?」
 テトラが森の奥を指し示す。
「この森のどん詰まりは高い崖になっているだろう。その途中に埋まってる街だ」
 そんなことは知らない。かけらも気付いていなかった。この海辺だけでも、僕らに見えていないものが余りに多くて眩暈がする。まったく途方に暮れてしまう。
「僕らには、見えないんです」
「さっきも俺が声をかけるまでまるっきり気付いてなかったもんなあ」
 むしろ感心したようにテトラは問うてくる。
「じゃあ、ここからの風景はどんなふうに見えるんだ?」
「木々が入り組んで、どこまでも続いているように見えます」「じゃあ空はどんなふうに見える?」「明るいです」――そんな会話の後、テトラは穏やかな横顔を見せてどこか遠くの一点を見つめ、ひとつ息をついた。
「お前さんらには本当に見えてないんだな」
「故郷にいる時に検査をして、目の機能には異常がないと分かっているんです。いつか見えるようになるかもしれないとは言われました」
 テトラが僕ら三人の顔をぐるりと見回す。
「てことは、今はまだ頭ん中に『遠く』っていうものが存在してないんだな。だから見えないというか、感知できない」
 彼の言葉はほんの少し僕らを憐れんでいるように響いた。
「僕らは長い間、海の中で、狭い球体の中でずっと暮らしていたんです」
 『遠く』。言葉では知っているけど。僕には実感できない。
 遠く、手の届かない場所、触れることができないもの。その感覚を掴むことができたら、見えるようにもなるのだろうか。ロンならそれがどんな感じか、ある程度知っているだろうけれど。
 ピースケが遠慮がちに言った。
「ぼくは、少しだけ見える気がする、時があるよ。夜明けや日が沈む時、風が吹いてくるときとか、何だかとても綺麗で胸が痛くなるような、『遠く』を見るってそんな感じじゃないかな」
 テトラが微笑んだ。
「そ、そんな感じならぼくも知ってる、かも」とらが小声で言う。「ミネルバのことを考えるときがそんな感じだよ」
 ピースケととらも。
 手の届かないものへの憧れのような、そんな気持ちを持っている二人になら「解る」感覚なのかもしれない。

続く

テトラは一話限りのキャラのつもりで名前を付けたのですが今回また出てきてしまったので、「やっちまった…」と思いつつ、とらの名前が今回からさりげなくひらがな表記になっております。面目ない…。
maiさんが仰った「キャラに名前を付けると動き出す」という言葉の通りでした、まさに! 紛らわしくなってしまってすみません。
久しぶりに「うたかたシリーズ」を書いたら長くなってしまい全部書く余裕がなく、一話完結にできなかったのが残念。でもその分次回は楽かな? 4月末に上げられるといいな…。

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鐘のキャロル   @ちゃり

 灰色の冬の廃墟を二人の人間が前後して歩いている。
 二人は共に粗末な古着を纏っており、前を行く小柄な人物は服も靴も分けて一層ぼろぼろだった。
 彼はシールド、封印された器。闇そのものの漆黒の瞳をしている。それを守り後から行くのはガーディアン。

 いったいどんな不思議の運命に囚われたのか、いつからか明けない冬に閉ざされた街があった。街を冬から解き放つため、二人は幻想の廃墟の中を巡っている。
 その役目は解放の種を街の中央まで運び、そこに植えること。
 シールドは種を身のうちに納めて運び、ガーディアンはそれを守って目的地まで送り届けるのが役目。
 言葉さえ封じられたシールドは殆ど喋らないが、時おりガーディアンに歌をねだる。
「銀の鐘の歌をうたって」
 彼が欲しがる歌は一つだけ。二人は廃墟を歩きながら歌う。

Hark how the bells,
sweet silver bells,     銀の鐘の妙なる響きをお聞きよ
all seem to say,        くよくよするのはおよし
throw cares away      鐘はそう言ってるようだろう

 シールドは言葉が思うに任せず、ガーディアンの歌う声に沿ってラララ…と口ずさむ。ただリフレインの部分だけは詞を覚えていて、踊るような足取りで楽しそうに歌った。破れかけた服のくすんだ布地がひらひらと舞う。

Merry, merry, merry, merry Christmas
Ding dong ding dong ...

 歌っている間だけは幸せそうに見える二人。
 解放の種は廃墟の方々に散らばって実っている。二人はそれを求めて廃墟中をくまなく歩いて行かねばならない。種のある場所から場所へは桟橋のような通路がまるで導くように架かっており、道に迷うことはない。けれどもその桟橋を渡ることが二人にとってはこの上ない苦行だった。
 何故なら橋は、無数に重なる人々の上に架けられているからだった。先へ進むには、種を得るにはその橋を踏んで渡っていく他に手立てがない。
 もちろん横たわる人々の体は生きてはいない。それは人柱であるのか、そうであったとしても無意味なほど数が多すぎる。何故なのか、いくら考えても二人には理解ができない。
 桟橋に乗れば古い骨の軋む音がする。歩を進める度その響きが靴の裏から這い登り、存在を主張する。
 最初の橋を渡る時、シールドは足を踏み入れたその場で立ち竦んだ。
「怖い」
 ガーディアンは役目として彼を先へ進ませなければならない。シールドへ示すように自分の耳を両手で塞いで見せた。
「こうして渡ればいいかもしれません」
 シールドはそれに倣い耳を塞ぎまた一歩を踏み出すが、音を遮っても足から軋みが伝わる。
「怖い」辛さに表情が歪む。
「でも、みんな、待ってる」
 そうしてシールドは自らを叱咤し、固く目を瞑って再び歩を進める。
 目を瞑れば足取りは覚束なく、悪くすれば橋の縁を踏み外す危うさがある。橋へ差し掛かるたびガーディアンは片手で彼の背を支えた。これで自身の耳は片方しか塞ぐことができないが、ガーディアンの靴はシールドの履物より幾分しっかりと出来ていたから、歩く時の感触はましであるはずだった。
 桟橋を渡り終えれば地面は確かに二人の足を支える。しかし凍った土はシールドのぼろぼろの靴の隙間から温もりを奪う。つらい、つらい道のり。
 苦しさに耐えて耐えて、耐え難くなった時にようやくシールドはねだる。「銀の鐘の歌、うたって」と。

Merry, merry, merry, merry Christmas
Ding dong ding dong ...

 種の生る樹はそれぞれの地に一本だけ。冬枯れのその樹の枝に種はたった一つしか実らない。灰色の景色の中、種だけが色づいて目に鮮やかだ。それは樹によってさまざまな色をしていた。赤、黄、黒、青…。
 シールドはそれを摘んで口に運ぶ。それぞれの種があるいは苦く、辛く、あるいは喉を焼くほどの酸味があるらしく、目尻に涙を浮かべながらシールドは種を飲み込む。
 幾つもの橋を渡り、種を身内に納め、ようやく最後の樹に辿り着いた。
 最後の種は遠くからでも金色に輝くのが見えていた。摘み取ったそれはシールドの指にまるで燃えるように熱く、飲み込むと彼の胸を内側から焦がした。彼はその場にうずくまり、しばらく動くことができなかった。
「大丈夫ですか?」
 気遣うガーディアンにシールドは弱く頷く。
「歌をうたいましょうか?」とガーディアンは問う。シールドは小さく首を振った。
「今、うたったら、種が、燃える」
 そして顔を上げ、囁くような細い声で言った。
「急ごう。器が、焼け落ちる」
 ガーディアンの差し伸べる手に縋ってシールドは立ち、よろめく足で次の桟橋へ向かう道を辿る。桟橋に差し掛かる頃には、折れそうな膝は支えられても伸びず、桟橋に一足置いた時の僅かな軋みでとうとう崩れた。
 ガーディアンはしばし彼の傍らで励ますようにその背をさすっていたが、やおら彼の背と膝裏を支えて抱き上げた。そのまま桟橋を渡っていく。シールドに少しでも苦痛を与えないように、密やかな足取りで。
「下ろして。歩く」
 苦痛を相手にだけ負わせることを拒んでそう言うシールドは、しかし自力で歩ける状態ではなかった。ガーディアンは答えず彼を抱えたまま最後の目的地まで歩む。
 廃墟の中央、そこに丈の低い枯れ木がまるで何かの残骸のように捻くれている。
 そこに来るとガーディアンに抱かれたままシールドは目を閉じ、胸の前で両手を祈るように結び合わせた。
 シールドの胸の中央に小さな光が灯った。その光が少しずつ大きさを増していき、やがて胸から溢れ出て組んだ両手の中に移っていく。光がすっかり手の中に入ったとき、シールドがそっとその手を開いた。そこには一つの種があった。その色は――それは色ではなく、熱であり、明るく柔らかな光だった。
 シールドはほっと大きな息を一つつく。ガーディアンは彼を地面の上にそっと降ろした。ガーディアンが種に触れることはできないのだ。役目以外の者が触れれば種は死んでしまう。
 枯れ木の前に跪いたシールドはその手で冷たい土を掘り、木の根元に輝く種を埋めた。
 やがて見守る二人の前で光が土の中から昇り、枯れ木の根本に色が差した。種の光が幹を上って行く。それにつれ、曲がった幹が、捻れた枝が伸びていく。木肌には艶が戻り、梢に葉の芽が膨らみ、ほぐれた。見る間に葉が茂り、樹そのものの丈も伸びていく。枝葉を張り、さらに広げ、空へ空へと。
 灰色の雲が垂れ込める空にその梢が触れると、そこから雲が吹き払われて空は青く染まっていく。
 光が全ての枝先まで行き渡り、それぞれの梢で星のように輝く。そこから光が雪のように降り注ぎ、光の雪に覆われた地面は温もり、小さな草の芽が次々と吹きだす。緑が土を覆っていく。草の葉が風にそよいで薫る。
 冬は終わった。
 廃墟の幻想は消え去り、今まさに二人を包むのは、懐かしく焦がれた故郷の風景そのもの。
 光は二人にも降り注ぎ、彼らを満たした。温もりが体を巡り、傷は癒される。
 役目を終えた器の封印は解かれた。器を守る義務も消え去った。二人は解放されたのだ。互いは目を見交わし、手を取り笑いあった。
 器であることをやめた彼の瞳はもう闇の色をしていない。それは温かな紅茶の色だった。
 身に纏う服は相変わらずの襤褸のままだったが、彼はもう自分で歌がうたえる。自由になった言葉、ふるさとの言葉で歌うことができる。
 その歌は役目の間に二人を支えた旋律と同じだが、詞は異なっている。
 それは春の訪れを祝う歌だった。
 納屋の軒に燕が戻り、牛や羊が草を食み、仔を育てる春。花が咲き鳥が歌う、輝かしい春!
 そしてこの土地では春が一年の始まりである。

 新年おめでとう。




 今回はうたかたシリーズではありません。
 Carol of the Bells というクリスマスソングが好きで、ネットでいろいろ調べるうちにこのお話ができました。
 雰囲気重視なので、歌の歴史や風土などはほぼ考慮していません。
 この三ヶ月ほど、何年かぶりで集中して二次ものをやってみたら、気付くことがありました。内から湧き上がる情熱にブレーキをかけないこと!
 オリジナルをやってる間、知らず知らず抑えてる部分があったんですね。これは今後に活かせるかも。
 次回はうたかたシリーズをやりたいです。

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Banquete  ~うたかた@ちゃり

 いま、世界を率いているのは鳥たちだった。
 鳥たち、特にカラス。
 新しいカラスの姿かたちは、地に落とす影を見ると人間によく似ていたが、顔も肌も手足の先もまったく違う。
 カラスの肌は細かい羽毛に覆われており、空を飛べはしないが腕には羽根も残っている。手足の先は細い鉤爪になっていて、手指にはうろこのような紋がある。
 また、カラスのほかにも。半鳥半人のようなものがおり、一方、鳥のまま全く変わっていないものもいる。
 それら鳥たちは互いに鳴き交わしたり、中空に印す鳥話で情報を伝えることができるが、鳥と人とはいっさい言葉が通じない。
 鳥の言葉には人の耳で捉えられない音も含まれ、鳥話ともなればさらに複雑すぎる。逆に人の言葉は鳥には単純すぎて、眼差しほどには心を伝えない。
 鳥たちは世界中にいて広い範囲を移動し、そうでなくても互いに言葉をやりとりし、かつての人間たちのように世界をあまねく覆う情報網を持っていた。
 対して人間たちはどうしているかと言えば、これも世界のあちこちに生き延びてはいたが、それぞれ孤立した狭い街の中に閉じこもって暮らしている。
 昔のある時期、人の存在を脅かした病に怯えて彼らは街を堅い殻で覆った。それから長い時間が過ぎて、病原はやがて人と共存する術を獲得し、もはやその病で命を落す人はいない。
 しかし人の意識だけが殻の中で閉じたまま変わらず、時間だけが長く経っていた。
 人間たちはとうの昔にそのことに気づいており、そして古びた殻もあちこちで破れているというのに、その境目から外に出ようとしなかった。
 鳥たちはそんな人間たちを静かに見守っている。

 さて、とある砂浜と崖の間を広く隔てている森にも、人のような姿をした新しいカラスたちが住んでいた。
 崖の斜面の中ほどには、古い人間たちの住む都市が一部はみ出て埋まっていて、カラスたちはこれを「岩棚の町」と呼んでいる。
 岩棚の町は崖から鼠返しのように突き出ていて、下から登って行くことはできない。崖の上には台地が広がり、町とをつなぐ細い索道が架けられている。そこから人は細々と出入りして、台地にささやかな畑を拓いて食料などを得ているが、それ以上に広がろうとはしていない。
 カラスと人は互いがすぐ傍にいることを知っていながら、とりたてて交流することはなかった。敵でもなく仲間でもなく、別の生き物がそこに暮らしている、というほどに感じていた。
 春のあるとき。
 空がよく晴れて、優しい風が小さな花やほぐれた土の匂いを運ぶ日、森の中に人間の子供が一人眠っていた。
 カラスの子供がひとり、普段の日課どおりに森を点検して回っていて、それを見つけた。
 木漏れ日が眠る女の子の滑らかな頬を柔らかく照らしている。肌には羽毛もうろこもなく、産毛が陽光をまとって光っている。手足は平たく、やわらかそう。
 カラスの男の子はそっと近づいて、珍しそうに見下ろす。手を伸ばして、爪の先でそっと、女の子の肩をつついてみた。
 とがった爪が触れると少し眉根を寄せ、人間の女の子は目を覚ました。何度か瞬きをしたあとゆっくりと上体を起こして伸びをし、それからカラスの子に気づいて見上げる。
 女の子の、栃の実の茶色のように澄んだ瞳、温かな濃い色の髪がきらきらと日の光を跳ね返している。
 カラスの子の黒い姿をじっと見つめ、その手を取り、細い指から爪の先までを撫でて、不思議そうに眺めた。
 七歳かそこら、あつらえたように同じ年頃の二人。
 視線が合ってにこっと笑いあい、互いに優しい言葉を発したが、意味は分からない。
 女の子は木の枝を拾い、地面に二人が手を繋いでいる絵を描いた。それから嬉しそうに笑って、女の子の絵と自分を交互に指差し、「スミ」と言った。男の子は理解して同じように名乗ったが、人の耳には音が難しかったので、女の子は聞こえるところだけを繋げて彼を「テトラ」と呼んだ。
 テトラはスミの手をそっと引いて、ゆっくりと歩き出す。
 二人が家に着くと、テトラの家族もひとしきり驚いたり珍しがったりし、その後は心を尽くしてスミをもてなした。お客用のいい椅子を勧め、温かいお茶を淹れる。スミも鳥たちの暮らしぶりを珍しそうに眺めている。
 彼女がどこから来たかは間違えようもなかったが、とくに帰りたがる様子もなく、すっかり寛いでいる。スミにとってはたんに長い散歩の途中であるようだった。
 座っていることに飽きると、スミとテトラは手を取り合って、表に遊びに出かけた。
 テトラは鉤爪のある手で木の枝を掴み、ある程度登ったら下にいるスミに手を差し伸べる。もし、テトラがスミの手を強く握ると爪で傷つけてしまうので、スミにテトラの手首をしっかりと握ってもらい、引っ張り上げる。
 そうやって高い樹の上へ上へどんどん登って、見晴らしのいい位置まで。
 スミは歓声を上げた。
 高いが柔らかい、心地のいい声。テトラはその声をとても好きになった。
 二人、しっかりした枝に並んで座り、遠くを眺める。
 森の向こうに、帯のように細長く続く浜と、そこから果てなく広がる海。眩しく輝く水面、その上に寝そべるような雲。
 背のほうを振り返ると崖、そしておそらくスミの家のある岩棚の町が見える。
 テトラは町を指差して、そこにおうちがあるんでしょう、と尋ねてみた。
 スミの眼差しはテトラの指の先を滑って、町の上、台地の遥か向こうの山並みに注がれた。頬は喜びに輝くような笑みを湛えている。
 木の上で気持ちの良い風に吹かれながら、テトラはスミに『帰らないで、ぼくのおよめさんになってほしい』と言ってみた。スミはテトラを見て、にっこりと笑った。
 家に帰り、テトラが家族にそのことを話すと、親たちはやさしく二人の頭を撫でながら、残念そうに言った。
 私たちはこうやって、鳥も人も同じように仲良く暮らせることが分かったけど、結婚はできないんだ。
 それは神さまが決めたので、どうにも変えることはできないんだよ。
 だから、スミは人間の町に帰らなければいけない。スミの家族がきっと待っているだろう。今晩はここでゆっくり休んでもらって、明日になったら一緒に送って帰そう。
 けれども、テトラはスミを帰したくなかった。
 だから翌朝は誰よりも早く起き、台所の棚から干した果物をたくさん取って布袋に詰め、それからスミを起こし、まだ眠そうなその手を引いて散歩にでかけた。
 東にまだ淡い夜明けの光、早起きの鳥たちはもう鳴き交わしている。
 カラスの子、何をしているの。どこへ行くの。
 テトラはそれを聞かないふりをする。
 そして良い枝振りの高い樹――二人の家を構えられるような良い樹を探して、昨日と同じように二人で登った。
 ここに巣をかけて、一緒に暮らそうよ。そう言うと、スミは首をかしげて優しく微笑む。
 けれどもスミの滑らかな手足は木の枝をうまく捉えきれず、水平線から眩しい朝日が差したときに目が眩み、小さな悲鳴とともに樹から落ちたのだった。
 どうして。昨日は大丈夫だったのに。そう思えたのに。
 信じられない思いでテトラが急ぎ樹を降りて駆け寄ると、スミの足は見るからに酷い有り様になっていた。慌てて抱き上げるとスミは悲鳴を上げ、ぐったりと目を閉じる。テトラは委細構わず鉤爪の手でスミを抱きしめたので、スミの手足や顔に細かい引っかき傷がたくさんできた。
 必死で背負って帰るとスミは大人たちに取り囲まれ、テトラは身の置き所なく隅っこでただ震える。
 大人たちが言う。人の怪我は、骨のつくりが違うので、鳥の医者には治せない。
 汗を滲ませて苦しむスミを見て、テトラは怯えた。
 カラスの大人たちが木の枠にスミを寝かせて担ぎ、スミを労わり励ましながら、岩棚へ向かう。テトラもついていく。
 大人たちの誰にも、テトラを叱る暇がなかった。それでも、テトラの心は自分を責め立て、その重苦しさに足がもつれそうになる。
 彼らは時間をかけて崖を回りこみ、台地へ上がった。
 そこには二、三の人間たちがいて、鳥たちとスミを認めると恐る恐る駆け寄ってきた。
 鳥と人の大人どうしが初めて間近に出会い、互いの姿をまじまじと見つめる。
 話したくても言葉は通じない。諍いや詰問をしている時間はなく、人たちは慌しくスミを引き受け、索道を降りて姿を消していく。
 テトラはそれを見送りながら、胸が張り裂けそうだった。
 怪我をさせてしまってごめんね。じかに謝ることも、お別れを言うこともできなかった。
 さよなら、スミちゃん。

 そのまま日々が過ぎていった。
 季節がいくつも移り変わり、それでも人間たちは街にこもったまま、時おり台地の畑に出てくるほかは姿を見せない。
 スミが森へ来る前と、拍子抜けするほど何も変わらない。
 言葉が通じないからか。自分たちとは違う生き物に、何を働きかけても無駄だと思っているのか。
 せめてスミが元気でいるのかどうかさえ、知ることができないのだろうか。
 鳥たちはさらに考える。
 どうして人は今も町に引きこもったままなんだろう。
 彼らが思っているよりきっと多くの人間が、世界のあちこちに生き延びている。それなのに、互いを探して出会おうともせずに。
 もうあの病気で死ぬ人はいないのに。外の世界には気持ちのいい風が吹いているというのに。
 テトラは考えた。
 そうだ、人の住む街がほかにいくつもあることや、そこがどんな街なのかを知らせてあげればいいかもしれない。
 例えば、ぼくたちの作るお酒や干した果物なんかを遠くの町に持っていって、そこの人たちから何かを換わりにもらう。それを持って帰って、岩棚の人たちに見せたら。
 そしたらきっと、彼らにも世界中に人がいることがわかる。興味を持って、外へ出たくなるかもしれない。
 きっとそうなる。ぼくはその手伝いをしよう。
 いつかぼくたちが大人になったころ、ぼくたちと人間たちが一緒に、スミちゃんとぼくも一緒に、笑いあってすごせる時がくるといいな…。


 
 
 

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Família  ~うたかた@ちゃり

 庭先で子供たちが遊んで、賑やかな笑い声をたてている。
 庭と言っても草や樹がてんでに繁って、外の森と大して変わらない。
 人間の子とカラスの子、ホオジロの子や、空を飛ぶ鳥の子たちも、一緒くたにじゃれあっている。

 遠い昔から人とともに暮らしていたカラスたち。
 いつからか姿を変え、人によく似た生き物になった。
 今も艶めく黒い羽毛を備えてはいるが、飛ぶことはやめ、地面を歩いて暮らしている。
 それは、人間の数が明らかに彼らよりも少なくなった頃から。
 体が変化したことについて、カラスたちにはひとつの言い伝えがある。
 ある人間の女性が神のような力で彼らを人の形にし、人間に替わって世界を統治するように告げたのだと。

 ここはたいそうな山の奥で、他所の生き物はまず入ってこない。
 かつては強化ガラスで覆われ閉鎖された街だったが、今はもうガラスの落ちた骨組みが蔓草をまといつかせ、粗い生け垣のように取り囲むばかり。
 この生け垣の内側に、人の姿が二つある。テルミとハルト、母と子のように見えなくもない。

「お母さん! また遠くを見ている。ぼくはここだよ!」
 若い女の姿をしたものが、空に向けていた顔を、声のほうへゆっくりと振り向ける。
 庭の片隅の小さな畑。ハルトはナスやマメを世話する手を止め、ちょっと拗ねたように女のほうを見ている。
 畑の作業を行うのはハルトひとり。テルミは何もせず、ただ傍らに立っているだけ。
 テルミは静かな声で、少年に答える。
「私はハルトのお母さんではありません。機械ですから生き物ではありません」
「また! どうしてそんなことを言うの?」
「ハルトの本当のお母さんは、ハルトを生んですぐ病気で亡くなりました」
「何度も聞いたよ! もう言わないで」
 テルミの言葉を遮り、それから顔を背け、ハルトは畑仕事に戻った。

 畑仕事のあと、二人で森の中を歩く。
 枇杷の木の、まだ手が届かない高さに生っている実を取ってくれと、ハルトはテルミにねだる。
 テルミは綺麗な手をそっと伸ばして、果実をもぎる。
 テルミが話す。
「私がいなくなった後は、カラスに頼んでください。それからハルトの背丈がもっと伸びたら、自分で取ってください」
「お母さんはいなくならないでしょう」
 ハルトは果実を布で拭き、肩掛け袋に入れる。
「ハルト。私はテルミ。鳥話を人語に翻訳するためのシステムです。このボディは動画取得のための自走式撮像機、兼、音声出力端末です。ハルトはそれを認めなければなりません」
「話が長くて何言ってるか分かんなーい」
 テルミは人の形をした機械。まだこの街に人間がいくらか残っていた頃に、ハルトのために造られた機械だった。
 人間たちは治らない病気を抱え、幼いハルトを一人残していかねばならないことを悟っていた。
 テルミはハルトを守り、また鳥たちとの通訳をして、ハルトが生きる手助けをする。
 けれどもハルトが無事に育ったこのごろは、もうハルトのためにテルミにできることはなくなってきていた。
 ハルトには鳥の友達がたくさんいて、皆がハルトを助けてくれる。
「先週、地下の部屋で、携帯型の翻訳機をハルトと一緒に作りました。あの翻訳機を持ち歩いてください。そうすれば私は必要なくなります」
 ハルトは逃げるように駆け出し、家のほうへ木立をくぐって見えなくなった。
「一緒に作ったから、ハルトが修理も改良もできるはずです。もう私は必要ないのです」
 テルミは独り言のように言葉を続けていた。

 数日のち、テルミとハルトは、仲の良いカラスの家で畑仕事を手伝っていた。
 鳥たちよりも手先が器用なハルトは、マメの柵の緩んだ部分を結び直したりしている。通訳として付き添うテルミだが、今は家の中、カラスの奥さんと鳥話で話をしていた。
「ハルトを置いていくのね」
 カラスの奥さんは気遣わしげに畑へ視線を投げる。
 ハルトのいる場所までは声は届かないし、ハルトは鳥話を解しないが、自然と声の調子が落ちる。
「宜しくお願いします」
「どこへ行くの?」
「東南の方角です。そちらから来た鳥が教えてくれました。人間が残っている街があるそうです」
「ハルトを連れて行ってあげないの?」
「子供には遠すぎます。大人になってからなら、旅をするのもいいかもしれません。今はまだ無理です」
「でもね、ハルトは一緒に行きたがるでしょう」
「私がいないことにハルトは慣れます。鳥たちと一緒にいたほうが、ハルトは楽しいからです。私はもうハルトを悲しませることしかできません。私にはオプションがないのです」
「よく分からないけど…」
 カラスの奥さんは困ったように微笑んだ。
「こんな時、あなたに何をしてあげたらいいのかな。あなたはお茶も飲まないし、椅子にかける必要もない」
 そしてカラスの奥さんはテルミの肩を労わるように撫でた。
 テルミの硬い声。
「すみません。意味が分かりません」
「いいのよ」

 カラスの言葉をテルミが通訳する。
「どうもありがとうハルト。助かったわ」
 仕事を終えたハルトは、テーブルでお茶を頂きながら嬉しそうに笑った。
「それでね、また今度でいいから、野菜籠の修理もお願いしていいかしら。子供が踏んで壊しちゃったの」
 ハルトは得意そうに請け負う。
「任して!」
 と、鳥の子供たちが部屋に駆け込んできた。テルミがそれらの言葉も通訳する。
「ハルト! ハルト! 来てたんだね。遊ぼうよ! 木登りしよう!
 カラスの奥さんがハルトを促して言う。
「いいわよ、遊んでいらっしゃい。そして日が暮れるまえに帰っておいで。夕ご飯をみんなで一緒に食べましょう」
 ハルトは飲みさしのお茶をテーブルに置いて、鳥の子たちと笑いあい駆け出していった。
 子供たちの遊びに通訳は必要なかった。
 見送りながら、カラスの奥さんが微笑む。
「いい子ね。みんなあの子が大好きよ。だから大丈夫」

 遠い道のりを歩くテルミの頭上には鳥たちがいつも空のどこかにいて、遠く離れた子供の様子を教えてくれる。

  ハルトは元気です。しっかり暮らしています。

 テルミは一度だけ言伝を返した。

  あなたの前途に、幸せと喜びがたくさんたくさんありますように。

 
 
 
 
 

 

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うたかた年表&シリーズ置き場  @ちゃり

こんにちは。いつも有難うございます。ちゃりです。
「うたかた」の話が増えてきたので、このたびpixivにシリーズ置き場を作りました。
http://www.pixiv.net/novel/member.php?id=3354071
見直し修正しながらなので、まだ途中までしか載せていませんが…。
今後もこんなふうに、新作はまずこちらに載せて、しばらく時間が経ってからpixivに転載していこうかと考えています。
(pixivにしか載せてないのも1個だけあります。オリジナルじゃない物なので(^^; )

この機に「うたかた年表」も作ってみましたので、以下に載せます。

*「うたかた」を現在とすると、リストの上側が未来、下側が過去です。

約二百年後?
   「空と地」 時系列上の最終話
 ~~~
   「遠いどこかを見つめるような」
   「みちしるべ」
   「斜め都市の画才」 斜め都市の電力復帰
   「ついてない男」
   「エーサク君の神隠し」
   「エーサク君の冒険日誌」

■現在「うたかた」

約2年前
   「斜め都市の画才」 斜め都市の電力遮断・一時閉鎖

約20年前
   「Banquete」

26年前
   「ソラの家」

およそ70~55年前
   「七階の人」

いつ頃?
   「Família」

およそ165年前?
   「鳥とおばさん」
   「手紙」

いつ頃?
   あこやが陸地に漂着

およそ二百~190年前
   小笠原村あこや(浮島部分)と
   小笠原村白珠(球体部分)が分離

 
 
 

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